第一部 邪馬台国ははたして一国として存在していたのか

第一章 『魏志倭人伝』の分析

三 邪馬台国という大きな連合体の中心がどこにあったか示している

影印南宋紹熙刊本『三国志』より邪馬台国探索関連情報を抽出しておこう。なお、原文中の「官」は、大官に「副」は副官とした。

(1)倭人在帯方東南大海之中依山嶋為國邑舊百餘國漢時有朝見者今使譯所通三十國従郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千餘里

倭人は帯方郡の東南の大海の中に在り、山嶋によって国、村が在る。元は百余国と通じていたが今は三十国である。倭国に至るには水行で海岸沿いを行き、韓国を南へ東へと約七千里で倭国の北岸の「狗邪韓国」に到着する。

(2)始度一海千餘里至 對海國 其大官曰卑狗副曰卑奴母離 有千餘戸

始めて海を約千里渡ると対海国に着く。そこの大官は卑狗(ひこ)、副官は卑奴母離(ひなもり)と言う。家が約一千戸有る。

(3)又南渡一海千餘里名澣海至 一大國 官亦曰卑狗 副曰卑奴母離 有三千許家

また澣海を約千里渡ると一支国(いきこく)に至る。大官は卑狗(ひこ)、副官は卑奴母離(ひなもり)と言う。家は三千戸ほど有る。

(4)又渡一海千餘里至 末盧國 有四千餘戸

また海を約千里渡ると末盧国で、家が約四千戸有る。