環がなぜ自転車で通学したのか、についてである。芝から上野に行くには新橋に出て、鉄道馬車を利用するのが普通であるが彼女は元来乗物に弱く汽車も鉄道馬車も乗るとすぐ酔ってしまうのであった。

音楽学校への入学が決まってまず最初の難題がこの通学方法であった。それまで人力車を使うことはよくあったが、毎日の通学に人力車というのは世間態もあるし(熊太郎の収入からすれば出来ない相談ではなかったが)思案の末、熊太郎は自転車での通学に着想し、英国製の女性用自転車を購入した。

父親には自転車通学によって環の身体が鍛えられればよいという期待もあった。

自転車の練習には熊太郎の法律事務所の書生が付添って自宅から六、七百メートル離れた芝区役所前の広場を利用した。

此処は現在の愛宕六丁目交叉点付近で、かつては徳川霊場参道口でもあり、広場周辺には海軍水路部や東京慈恵病院があり、人通りも少なく練習には適当な場所であった。

音楽学校への期待に胸をはずませ一心に練習に励んだ甲斐あって、環は二、三日で独走できるようになった。(※22)

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『新版 考証 三浦環』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。