精神科医の道、私の履歴書

ここで、私自身の生い立ちや、精神科医を志した経緯について、すこしお話ししておきたいと思います。私は昭和10年、東京・荒川に生まれました。菓子職人の父と看護師の母、それに兄と弟が1人ずつの5人家族。家庭は非常に貧しく、六畳一間に親子5人が肩寄せあって暮らしていました。

2歳のとき、私は肺炎をこじらせて肺に膿がたまる病気をわずらい、海軍病院(現在の聖路加国際病院)にかつぎ込まれます。命は助かったのですが、以来すっかり病気がちになり、幼少時代は多くの時間を寝床で過ごしました。

そのせいか、私は誰に教わることなく文字が読めるようになりました。いまでも覚えているのは、ジョナサン・スウィフトの『ガリバー旅行記』をむさぼるように読んでいたことです。とにかく頭だけは良かったようで、母には「お前は絶対にお医者になりなさい」とことあるごとに言われていました。結果として、私は母のいいつけを守ったことになります。

高校は板橋区にある都立北園高校に通いました。当時の北園高校は、毎年東大合格者を40~50名も出していた上位校で、頭のいい生徒が大勢いました。私も一生懸命に勉強しました(私は学年全体の試験で最高8番までいきました)。毎晩「もう帰れ」と叱られるまで学校に残り、あるいは本郷や駒込の古本屋を回っていろいろな本を読みあさる毎日でした。

そんなある日、偶然にも岩波新書の『感情の世界』という本に出合います。日本における精神病理学の第一人者・島崎敏樹先生の著書ですが、これまでなんとなく医者になることを思っていた私は、この本を読んで精神科医になることをはっきりと決意しました。島崎敏樹先生は精神科医でありながら、その表現は文学的でみずみずしく、私は人間の精神や感情が織りなす世界にすっかり引き込まれていったのです。

しかし「大学へ行って医者になりたい」と言うと、父にはあっさり「金、ないよ」と言われてしまいました。ならば、学費の安い国公立へいくしかありません。家は東大の近く。それなら東大をめざしてやろうと、猛勉強が始まりました。

予備校には通えませんから古本屋で受験参考書を買い、夜9時までは学校に居残って勉強し、夜は押入れの上で深夜まで問題を解きました。当時、受験生の間では「三当四落」(睡眠3時間なら合格、4時間寝ると落第)という言葉がありましたが、私の勉強はそれを地でいくものだったのです。指導教官には「お前の学力では東大は無理だ」と言われましたが、私はそんな非情宣告も発奮材料にして、さらに猛勉強しました。

※本記事は、2017年10月刊行の書籍『ヒューマンファーストのこころの治療』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。