ヨーロッパの魔女狩りとこころの病

日本では古くにはこころの病をもつ人びとを社会に受け入れて共存する文化がありましたが、西洋医学の広まりとともに失われてしまいました。では、ヨーロッパではどうだったのでしょう。

ヨーロッパにおいても、古代ギリシャ・ローマの時代には「狂気」は単なる病気ではなく、超自然的なパワーを宿したものとして畏怖の念で見られていたようです。

たとえば「てんかん」はmorbus sacer(神聖な病)とされました。歴史上の偉人たちが残したことばにも、

「ギリシャにおける善の数々は狂気を通じてもたらされた」(ソクラテス)
「神々しい狂気」(プラトン)
「狂気を交えぬ偉大な魂などない」(アリストテレス)

などが見られます。

こころの病をもつ人は嫌われるどころか「神の声を伝える預言者」の役割をあたえられ、ひろく人びとのあいだに受け入れられていたのです。古代ギリシャ・ローマは多神教の世界でしたから、こころの病に対する考え方も、八百万の神々を信じた日本と似ていたのかもしれません。

しかし、中世に入るとヨーロッパはキリスト教の世界になります。神なる存在はイエス・キリストだけであり、その秩序からはずれるものは排除され、断罪されるようになっていきました。こころの病をもつ人も例外ではなく「悪魔が乗り移った者」として迫害をうけます。

そのさいたるが、13世紀初頭から17世紀にかけてヨーロッパ全土を席巻した「魔女狩り」(魔女=witchは男性も含む)でした。

魔女は悪魔と盟約をむすび、悪い病気を流行させ、人畜に害を与える存在として捕らえられ、厳しい拷問を受け、処刑されました。

魔女狩りがようやく禁止されはじめたのは、18世紀も半ばになってからでした(それでもなお、こころの病をもつ人は取り締まりの対象で、浮浪者、乞食、売春婦や盗賊などとともに収容所に閉じ込められました)。

こころの病が罪悪ではなく「病気である」と認められたのは1793年、フランス革命のときでした。精神科医のフィリップ・ピネルという人が、ビセードル病院(収容所)で鉄鎖につながれていた人びとを解放し、医療の名のもとに教育的・道徳的療法をほどこし、社会に組み込もうとしたのです。ピネルは患者を注意深く観察して記録し、症例を保存して、近代精神医学のいしずえを築いたのです。

19世紀に入ると自然科学がめざましく発展し、生物学や医学の分野でも「ダーウィンの進化論」「メンデルの遺伝の法則」「コッホの細菌学」など、さまざまな発見がなされます。こうしたなかでドイツの精神医学者ウィルヘルム・グリージンガーが「こころの病は脳病である」と主張し(1845年)、エミール・クレペリンが「早発性痴呆」(統合失調症)の概念を確立しました(1899年)。

しかし、こころの病が病気として学問的な観察対象となったことが、逆にこころの病をもつ人びとを閉鎖病棟に収容する理由にもなり、彼らを社会の裏側に押し込めてしまうことにつながっていってしまったのはたいへんに残念なことでした。

※本記事は、2017年10月刊行の書籍『ヒューマンファーストのこころの治療』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。