謎多き天才が残した一枚の絵画をめぐる、
超大作アート・ミステリー。
写真家の宗像は、偶然訪れたロンドンの画廊で、一枚の肖像画に心を奪われる。絵画の名は、夭折した謎多き天才画家ピエトロ・フェラーラの「緋色を背景にする女の肖像」。フェラーラの足跡を追い求めてたどり着いたポルトガルの地で、宗像は美術界を揺るがす秘密に迫っていた。美術界と建築界に燻るスキャンダル。その深部と絵の謎が交錯していく。アートに翻弄された人々の光と影を描き出す、壮大なミステリードラマを連載でお届けします。
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宗像は次々と明らかになるフェラーラの事実を目の当たりにし、固唾を飲んで耳を傾けていた。エドワード・ヴォーン氏は真実を全て抹殺することは出来ず、エリザベスの出生時の名前を、ミドル・ネームとして残したのだと、その心中を察した。
エリザベスは紅茶を一口含むと大きく深呼吸し、更に話を続けた。
「私は両親の過剰な愛情のもとに育てられました。けれども親の仕事である絵画や芸術全般に対して、理由のない反発もありました。それで、ロンドンを離れたい一心もあって十九歳のときにアメリカに渡ったのです。大学、大学院、そして就職と、十二年間をロサンゼルスとニューヨークで過ごし、心理学とヴィジュアル・デザインの勉強をしてきたのです。
卒業後、ニューヨークのデザイン事務所で五年間働きましたが、私にとってはこのときが一番充実した時代でした。再びロンドンに戻ってきたころには三十一歳になっていましたが、両親や親戚とは良い関係を保ってきたと思いますし、多くの友人にも恵まれました。
でもこの件に限って、他人に相談するというわけにもまいりませんでしょう、まずは一人で調べてみることにしたのです。最初は、私が生まれ、そして小学校時代を過ごしたブリストルからでした。ブリストル市をご存じかしら?」
「いいえ。どの辺に?」
「ブリストルはロンドンの百数十キロ西に位置する、イングランドの南西部で最大の都市です。エイボン川の美しい自然に恵まれ、かつてはイギリス第二の港町だった時代もある古い街です」
「………」
宗像は黙って聞いていた。
【登場人物】
宗像 俊介:主人公、写真家、芸術全般に造詣が深い。一九五五年生まれ、46歳
磯原 錬三:世界的に著名な建築家一九二九年生、72歳
心地 顕:ロンドンで活躍する美術評論家、宗像とは大学の同級生、46歳
ピエトロ・フェラーラ:ミステリアスな“緋色を背景にする女の肖像”の絵を26点描き残し夭折したイタリアの天才画家。一九三四年生まれ
アンナ・フェラーラ:ピエトロ・フェラーラーの妻、絵のモデルになった絶世の美人。一九三七年生まれ、64歳
ユーラ・フェラーラ:ピエトロ・フェラーラの娘、7歳の時サルデーニャで亡くなる。一九六三年生まれ
ミッシェル・アンドレ:イギリス美術評論界の長老評論家。一九二七年生まれ、74歳
コジモ・エステ:《エステ画廊》社長、急死した《ロイド財団》会長の親友。一九三一年生まれ、70歳
エドワード・ヴォーン:コジモの親友で《ロイド財団》の会長。一九三〇年生まれ、71歳
エリザベス・ヴォーン:同右娘、グラフィックデザイナー。一九六五年生まれ、36歳
ヴィクトワール・ルッシュ:大財閥の会長、ルッシュ現代美術館の創設者。一九二六年生まれ、75歳
ピーター・オーター:ルッシュ現代美術館設計コンペ一等当選建築家。一九三四年生まれ、67歳
ソフィー・オーター:ピーター・オーターの妻、アイリーンの母。
アイリーン・レガット:ピーター・オーターの娘、ニューヨークの建築家ウィリアム・レガットの妻。38歳
ウィリアム・レガット:ニューヨークでAURを主催する建築家。一九五八年生まれ、43歳
メリー・モーニントン:ナショナルギャラリー美術資料専門委員。一九六六年生まれ、35歳
A・ハウエル:リスボンに住む女流画家
蒼井 哉:本郷の骨董店《蟄居堂》の店主
ミン夫人:ハンブルグに住む大富豪
イーゴール・ソレモフ:競売でフェラーラの絵を落札したバーゼルの謎の美術商