人質は「三億円の田んぼ」……。
世界一の日本酒をめぐり、渦巻く黒い思惑。
『田に毒をまいた。残りの山田錦が惜しかったら、五百万円用意しろ』。
烏丸酒造に届いた一通の脅迫状。見れば一本百万円を超える純米大吟醸酒の元となる田の一角が枯らされていた。捜査の過程で浮上する、杜氏の死にまつわる事件の疑惑。そして、脅迫犯が突きつける、前代未聞の要求とは――。
酔(よ)みすぎご注意。 ふくよかに味わい深い、発酵醸造ミステリーを連載にてお届けします。
「向こうまでの足は、酒を飲みに行くんだから、車ではないやろ?」
記憶が蘇ってきたらしく、秀造が即座にうなずく。
「マイクロバスです。運転手付きで借りて、店まで往復しました。杜氏を除いた蔵人全員と、農協の方たちが一緒でした。県庁職員は、自分たちの車で行ったんじゃなかったかな。帰りは、代行で帰ったんでしょう」
「宴会は、前々から決まっとったんか?」
「半年前には。甑倒しは、前の年の秋に立てる醸造計画で日程が決まります。だから、その後の宴会も同じです。今年は、農協さんが、参加するんで会場を見直したくらいで」
宴会会場は、蔵から車で一時間ほどの割烹だった。地元では、式包丁で有名な店で、勝木も行ったことがあった。
「白装束を羽織り、長包丁で魚を捌く儀式が、ことのほか厳かで。その年の酒造りが終わったと、しみじみ感じるんです。農協さんたちは、初めて見たって、感激してました」
烏丸酒造の酒を持ち込んだ宴会は、夕方七時から始まり、十時過ぎに終了したと言う。
「なんで杜氏は、宴会に来いへんかったんやろう?」
勝木は、そんな大事な宴会に杜氏が来なかったというのが、気になった。
「それが、全然わかんないんです。心当たりもありません」
その後も二、三質問した後、秀造を解放し、大野副杜氏を呼んでもらった。勇んでやって来たところで、さっきと同じ質問をする。ほぼ、同じ答えが返ってきた。
※本記事は、2020年10月刊行の書籍『山田錦の身代金』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。
【主な登場人物】
山田葉子:日本酒と食のジャーナリスト
矢沢タミ子:居酒屋経営者
矢沢トオル:タミ子の息子
葛城玲子:播磨署警察官 警視
高橋 仁:同 警部補
勝木道男:同 捜査一課課長
烏丸(からすま)秀造:『 天狼星(てんろうせい)』醸造元 烏丸酒造 蔵元
烏丸六五郎(むつごろう):同 先代蔵元
多田康一:同 前杜氏(とうじ) 故人
大野 真:同 副杜氏
佐藤まりえ:同 賄い担当
速水克彦:同 新杜氏
富井田哲夫:県庁農林水産振興課課長
松原拓郎:農家
松原文子:拓郎の妹 農家
桜井博志(さくらいひろし):『獺祭(だっさい)』醸造元 旭(あさひ)酒造会長
甲斐今日子:酒屋
黒木 将:酒屋
ワカタ ヒデヨシ:元プロサッカー選手、日本酒プロモーター
スティーブン・ヘイワード:有機認証機関検査官