第二章 一日一合純米酒

(十二)

死者は、呼吸をしないため、肺に液体が入ることはありえない。


「発見されたのは、早朝七時。出社してきた蔵人たちに、見つけられています。発見場所は、烏丸酒造の仕込み蔵。室内に設置されたもろみタンクの一本に、多田杜氏が沈んでいました」

蔵人の一人が違和感を感じて、全員で仕込み蔵に入ったところ、杜氏が死んでいたという。

「違和感とは?」
玲子の質問に、岩堂鑑識官がファイルをめくる。
「仕込み蔵に、入れなかったらしい。鍵をかけてないはずの仕込み蔵の扉が、その朝だけ開かなかった」

仕込み蔵には、機器搬入用の外へ通じる大扉と、廊下につながる観音開きの扉がある。大扉は、必要の無いときは施錠してあるが、観音開きの扉には錠がついていない。ところがその朝、観音開きの扉は、内側の閂に角材が通してあり、開かなかった。

「その場にいた蔵人全員で、閂の角材を切断し、仕込み蔵に入ったところが、誰もいない。数人で、隅から隅まで確認したが、猫の子一匹いない。そこで、念のためもろみの中も確認したところ、杜氏を発見した」

「犯人は、搬入用の大扉から出入りしたのか?」

岩堂鑑識官は、ファイルをめくりながら、否定した。
「大扉は、内側から南京錠がかけられていました。大扉から出て、外から南京錠をかけるのは無理です」

「それやったら、杜氏が他殺だとすると、犯人どうしたんや?」

岩堂鑑識官が、肩をすくめて見せる。

「タンクの陰に隠れていた誰かが、外から人が入った混乱に乗じて、逃げたというのは?」
玲子の言葉に、鑑識官がページをめくった。

「手分けして探す際も、常に一人は入り口に残ってたらしい。副杜氏の大野真だな。事故とわかった後も、警察が到着するまで目を離さなかったとある」