東京女学館を三月に卒業して、九月の入学試験まで環の身辺には種々の家庭の事情が付き纏うのであるがこのことは後に述べる。

音楽学校の入学試験がどのようなものであったか不明であるが環は無事合格した。環より六年前に受験した瀧廉太郎の時の試験内容を参考までに記しておくことにする。(※9)

試験科目は読書(国語・漢文・講読)作文、算術(四則・分数・小数・比例・開平・開立)英語訳読(ナショナル第四読本程度)及び唱歌(文部省小学唱歌集)の五科と発表された。

試験内容は、唱歌は小学唱歌「つばめ」を歌い、オルガンによる聴音練習が課せられ、英語はナショナル第四読本の「象」の一節、国語は「音楽を聴いての感想」と題する作文であった。

同じ頃(明治二十八年度)の一高の問題にしても、代数学は「十人の選挙者が二人の議員候補者に投票するとき投票の仕方は幾通りあるか」とか、生物は「衛生上夏は如何なる衣類が適するか」日本史は、「奈良朝とは何天皇から何天皇までを言ふか」漢文はきまって『日本外史』から出題されるという具合であった。(※10)

昨今の大学入試問題と比較する時、昔日の感がある。環の受験した明治三十年度の予科入学志願者は十六名であり、入学者は七名であった。

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『新版 考証 三浦環』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。