この件は私と亡き妻キャサリン、フェラーラ夫妻、そしてローマ大学以来となる私の親友であるコジモ・エステの五人だけしか知らぬ極秘事項だ。欲しいもので、手に入らぬものなど何もない私たちにとって、子供だけが果たせぬ夢だった。

しかし、この私たちの気持ちは養子という形などでは満たされず、実の子でなければならなかった。当時の私にとってこれは魔がさしたとしか思えない出来事だった。

恐ろしいことに、私は弁解の余地もない非合法な手段でこれを成し遂げてしまった。この手紙の中に画家ピエトロ・フェラーラの関係資料を同封しておく。どうか私とキャサリンを許しておくれ。

一九九九年八月六日 エドワード・ヴォーン』

封筒には一九七〇年、ロイド出版から発行されたピエトロ・フェラーラの画集が同封されていました。巻末にあるフェラーラの略歴を見たときはさすがに愕然としました。私の名前はどこにもありませんでしたから。記録からも抹殺されていたのです」