二 『魏志倭人伝』では、邪馬台国という国は記載されていない

『魏志倭人伝』(南宋紹熙(しょうき)刊本)

原本は陳寿(二三三年~二九七年)作、中国二番目の国書。

この「倭人伝」は、南宋時代の紹熙年間(一一九〇~一一九四)に刊行されたものである。

陳寿が原書を書いてから九〇五年が経過しての再刊本であり、復原本(元の形態に戻すこと)といわれている。陳寿が五十三歳だった太康六(二八五)年の作で、邪馬台国が存在していた時代に書かれ、大変貴重な歴史書である。

『三国志』最古の版本は「紹興本」(紹興は一一三一~一一六二)である。

邪馬壹(やまいち)國の「いち・い」は南宋紹熙刊本には「壹」が使われている。

現在は、邪馬台国と一般的に表記されており、「やまたいこく」と読んでいる。

しかし、卑弥呼の朝貢の時は、中国の官吏は、倭人の説明する音を聞いて、適当な文字を当てはめたものとすれば、一字一音で記録したと考えるのが妥当で「邪馬台」は「やまと」と読むべきではないか。

※本記事は、2020年11月刊行の書籍『邪馬臺國は豐國にあり 歴史学と考古学から読み解く⽇本古代史』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。