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森本との京都旅行を終え、9月の第2学期が始まった。

私の父に、

「みっちゃん、うちには大学に行かせるお金はないから、就職するんよ」

と言われ、夏休みに京都の素晴らしさを思い知らされた私は、

「お父さん、実は京都の大学に行きたいんよ。もし、授業料が払えんかったら、わしが自分で働いて払うから、頼む、大学に行かせてくれや」

と懇願し、父は自分で稼いで大学に行くのであればいいだろうと許してくれた。

最初、授業料の安い大学を調べたが、当時の私立大学の年間授業料が30万円から50万円の高額であった。国立でさえ4万円前後であった。

(こんなに高額だと、大学なんて行けんわ。)

そして、夜学を調べると、年間授業料7万円前後の大学があり、卒業時は昼間も夜間も同じ卒業証書がもらえることが分かった。

結局、立命館大学の夜間を第一希望にして、昼間働きながら夜大学に行くことに決めていた。

直ちに、大学に行くための必要なお金を稼ぐために、アルバイト先をすばやく探したのである。

広島市内の中心地に八丁堀という場所がある。当時は、原爆後もお店を開業していた老舗「福屋」があり、道路を挟んで「天満屋(てんまや)」という広島では大きな百貨店が屹立していた。その「天満屋」裏に「喫茶モンブラン」という看板が目に入り、お店のショーケースの片隅に「アルバイト求む」という貼り紙があった。

入り口のドアを押しながら中に入り、

「すいません。アルバイトをしたいのですが

と学生服姿で、レジに立っている従業員らしき人に声を掛けた。

すると、半地下になっている1階の奥から、めがねを掛けた少し小太りの若々しい男性が、小走りで私の方に来られ、

「どこの高校?」

「はい。崇徳高校です。野球部でした」

「ああそう。この夏はほしかったね。崇徳は残念じゃったねぇ。わしも明治大学で準硬式野球部じゃったんだよ」

と、簡単な面接を行っていただき採用されたのである。

その方がこのお店のマスター大崎浩志(ひろし)さんである。

時給は230円で夕食付きで、それ以外に食べたものはすべて半額でいただけたのである。

若かった私は、いつもおなかを空かせていたので、大盛りのカツカレーに野菜を付けたものをしっかり食べていた。たまに、マスターにラーメンをご馳走になり、遠慮せずに食べていいと言われ、ラーメン3杯食べたことがあった。まさに大食漢であった。

「喫茶モンブラン」でのアルバイトは、毎日夕方5時から11 時までの6時間、1日1380円、1か月約3万円くらいになっていた。

お店にお客さんがいないときは、必死になってトレンチ(お盆)の裏に英語の単語を書き入れたメモ用紙を何度も見て、単語を覚えていた。そんなことをしていて、時折、お客さんが来店し注文を取りに行った際に単語と注文が入り交じってしまい、再度お客さんに注文を聞き直すこともあった。

順調に9月から12月までの4か月間で10万円ほど貯金ができた。

この間、私の同級生がたまたま持っていた大学の入試要項とパンフレットを見せてもらった。

もちろん一番先に見るのは年間の授業料が書いてあるページである。

するとなんと、この大学は年間授業料が9万6千円と記載されており、千葉県にある大学なので、京都の夜学がいいか、この授業料の安い大学に行くべきか迷った。

そんな迷ったとき、野球部の監督から大阪や東京の野球部のある大学に野球部推薦で入れるからどうかと言われたが、最初からそんな大学の授業料は払える家庭ではなく、それよりも、野球で入学するのは自分としても野球だけの人間にはなりたくないというものがあり、断ったのである。

そして、野球部長(その後、崇徳高校校長)に相談したとき、

「濱本、もし行けるのであれば、昼間の大学に行った方がいいぞ。昼間働きながら夜勉強するのは大変で、途中で大学を断念する人間も多いぞ」

と聞いて、私は帰宅途中の太田川沿いを自転車で走りながら、こころは昼間の授業料の安い大学のある関東行きを決めていた。

これに併行して、アルバイト先の「喫茶モンブラン」のマスターが、

「よし分かった。濱本が苦労して大学に行こうというなら、1月から時給を350円にしてあげるよ」

と、春闘をしたわけではないのに給料が上がったのである。

1月以降は高校は受験で授業がなかったため、朝から夜遅くまで働かせていただいた。

そして大学に合格し、4月に大学に行く前には約30万円近く貯めることができ、さらにマスターや従業員の方々がお祝いとしてスーツやスラックスをプレゼントしてくれた。

不思議なことに、あれほど私の大学行きを反対していた父がなぜか、入学金と年間授業料を払ってくれた。涙が出るくらいうれしかった

数日後、父の通勤用に乗っていた車やバイクがないのに気づいた。

(そうか、お父ちゃんは、自分の車やバイクを売り飛ばして、わしの学費を工面してくれたんだ……。)

と、こころの底から父親に感謝し、一人泣きをしていた。

※本記事は、2017年12月刊行の書籍『女子硬式野球物語 サクラ咲ク2 旅の果てに』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。