人質は「三億円の田んぼ」……。
世界一の日本酒をめぐり、渦巻く黒い思惑。
『田に毒をまいた。残りの山田錦が惜しかったら、五百万円用意しろ』。
烏丸酒造に届いた一通の脅迫状。見れば一本百万円を超える純米大吟醸酒の元となる田の一角が枯らされていた。捜査の過程で浮上する、杜氏の死にまつわる事件の疑惑。そして、脅迫犯が突きつける、前代未聞の要求とは――。
酔(よ)みすぎご注意。 ふくよかに味わい深い、発酵醸造ミステリーを連載にてお届けします。
(十二)
兵庫県警播磨警察署は、県央近くの落ち着いた地方都市にある。隣町へと続く、地方道沿い。鉄筋コンクリート四階建ての灰色の建物が、町外れに建っていた。
夕刻近く、多田康一杜氏殺人事件の捜査本部が、播磨署内に正式に設置された。辺りが、暗くなってきた中、本格的な捜査が開始される。
こちらも勝木の指揮下となり、葛城玲子警視と高橋仁警部補が、オブザーバーとして参加することになった。
署内の大会議室に関係者を集め、最初の捜査会議を開いた。
殺人事件捜査のキックオフは、岩堂鑑識官の鑑識結果報告だ。
多田杜氏の遺体は、既に荼毘(だび)に付ふされ、とっくに納骨された後である。それでも、不審死ということで、検死はされていた。
岩堂鑑識官が、検視ファイルを手に取り、説明を始める。
「多田杜氏の死因は、窒息死。肺に水分は一滴も入っていません」
「つまり、溺死ではないということやな」
勝木の言葉に、岩堂鑑識官が軽くうなずく。
溺死の場合、必ず肺の中に液体が残る。海で溺れたなら、海水。もろみで溺れたなら、もろみだ。本来、空気しか入らない肺に、液体が入ることで死ぬのが溺死なのだ。
不謹慎だが、酒のもろみで溺れ死ぬなら、酒飲みは本望かもしれない。だが、多田杜氏は二酸化炭素での窒息死だった。
「そして、死んでからもろみに投げ込まれたという説と、矛盾しません」
※本記事は、2020年10月刊行の書籍『山田錦の身代金』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。
【主な登場人物】
山田葉子:日本酒と食のジャーナリスト
矢沢タミ子:居酒屋経営者
矢沢トオル:タミ子の息子
葛城玲子:播磨署警察官 警視
高橋 仁:同 警部補
勝木道男:同 捜査一課課長
烏丸(からすま)秀造:『 天狼星(てんろうせい)』醸造元 烏丸酒造 蔵元
烏丸六五郎(むつごろう):同 先代蔵元
多田康一:同 前杜氏(とうじ) 故人
大野 真:同 副杜氏
佐藤まりえ:同 賄い担当
速水克彦:同 新杜氏
富井田哲夫:県庁農林水産振興課課長
松原拓郎:農家
松原文子:拓郎の妹 農家
桜井博志(さくらいひろし):『獺祭(だっさい)』醸造元 旭(あさひ)酒造会長
甲斐今日子:酒屋
黒木 将:酒屋
ワカタ ヒデヨシ:元プロサッカー選手、日本酒プロモーター
スティーブン・ヘイワード:有機認証機関検査官