「技術者の帽子を脱いで経営者の帽子をかぶりたまえ」

実は、チャレンジャー号発射の前日、チオコール社内で大きな議論が巻き起こっていました。チャレンジャー号は、それまでにいくつかのトラブルを生じて発射が延期されていました。そしてその後、今度の発射予定が1月28日の早朝になるとの連絡がチオコール社に届きました。

これを聞いたチオコール社の技術者たちが、「その発射時刻では気温が低すぎて、Oリングが硬くなり十分なシール性が発揮できない危険があり、打ち上げには反対である」と警告を発したのです。技術部長のルンドが、NASAに「技術者たちが警告を発している」と連絡しました。するとNASAから、「本当にそれは発射ができないほどの危険な事態なのか」と、再検討の要請が返ってきました。

こうした経緯を経て、チオコール社内で議論が起こったのです。

技術者のボイジョリーは、[図2]に示すように、この温度では燃料が漏れる危険があることを最後まで主張しました。彼は、これまでの回収されたロケットブースターにおけるOリング部分の状況を調べていて、発射時の気温が低いほどシール不良が発生して、燃料が漏れた形跡が多いことを把握していました。

[図2]継ぎ目部のOリングのシール漏れ

しかし、副社長メーソンは、会社としては今後もNASAからの受注を継続するために、Oリングのシールに問題がないことをNASAに伝えたいと思っていました。そこで、技術部長のルンドに、「君は技術者の帽子を脱いで経営者の帽子をかぶりたまえ」と説得しました。要するに、安全性ではなく利益を追求したのです。

その説得を受けてルンドは、Oリングが使用可能であるとNASAに返答しました。その結果が、翌日早朝の爆発事故でした。

このチオコール社内での議論において、あくまでもOリングのシール不良の危険を主張したボイジョリーの行動が、技術者倫理の模範として紹介されました。スペースシャトルの爆発を結果的には防げませんでしたが、技術者としての責務を果たしたと評価されたのです。つまり、「公共の安全、福祉、健康を第一にする」という倫理に基づき、危険を率直に指摘し、回りの技術者にも説明しながら、上司に訴えました。一方、「経営者の帽子」をかぶって技術者としての倫理をないがしろにしたルンドは、公聴会でも「あなたはそれでも技術者か」と厳しく批判されました。

このチャレンジャー号の爆発事故について、もう少し考えてみたいと思います。欧米においては個人主義が強く、技術者倫理についても技術者個人の倫理を考えることが中心になっていると感じます。一方、日本人は組織の問題を考えることがまず多いと思います。それは個人主義が弱く、集団的思考が強いことの反映でもあります。

日本人技術者の意識としては、チオコール社としての責任はどうだったのか、NASAの責任はどうだったのかを中心に考えると思います。つまり、Oリングがその温度条件で十分なシール性を発揮するかどうか、チオコール社としては使用温度の保証範囲を提示するとか、使用温度条件と不良発生率のデータなどをNASAに提示すべきだったのではないかと思います。

一方、このロケットブースターを設計したのはNASAだったはずですから、ロケットブースターの設計者がこの発射温度条件で大丈夫かどうかを判断すべきです。発射の判断はあくまでもNASAの責任です。チオコール社に再検討を要請するのではなく、NASA自身がOリングの使用条件を把握した上で、NASA自身が判断すべき問題です。

アメリカの風土としては、組織としての責任よりは、組織内でそれぞれの個人が自分の責務を果たしたかどうかを問うことが多いため、技術と倫理の問題も技術者個人の倫理を中心に捉え、チャレンジャー号の事故においても、技術者の行動に焦点が当てられたように思います。NASAについては、組織の問題を強く問われることはなく、より安全なスペースシャトルの改良を進めるという流れになったように思います。