「はい、悲しいかな」
「お上は見て見ぬふり。これでは御維新前と、何ら変わらない」
「はい」
「こんな私のところにも、百姓がやって来て、何とかしてくれと言って、頼むんですよ」
「はい」
「世間の人は私を、鬼だ、夜叉だ、と言ってるようですが、本当の鬼は私じゃない」
「いえ、旦那さんのお人柄にはみんな感心してますよ。だからたくさんの人たちが頼って……」
「それも上辺だけ、偽善ですよ。しかしね、偽善であっても何もしないよりはずっといい。偽善であっても人の命は救えるのですよ」
「はい」
「まだ洟(はな)をたれた小便くさい、どうにもならない娘に、大金を投資するんですよ」
「私にも娘がひとりおりますが、その親の身になってみますと、これはたまらない」
「そう、娘よりも親が大変。先だって来た親子ですが……北のはずれにある村の百姓です。狭いところに十人の家族がひしめいている。文字通りの水呑み百姓。食うや食わずの毎日。いや、食わず食わずですかな……トメと言うんですがねえ」
「はい?」
「その娘の名前ですよ。小柄な子でね、十五になります。まだ顔は浅黒いが、いや町の水で洗えばきれいになりますよ……その娘が実は逃げ出して、若い衆の手をがぶりと噛んで、いやすばしっこい。ときに淺野屋さん、ご存知ありませんかね、どこかでお聞きではありませんかね」
「さあー」
「と言うのはね、私にも責任がありますので。だいじな預かりものですからな。この時代お女郎がストライキをやるのですから。ストライキ知ってますか。怠業して主人に食ってかかる。いやな時代になりましたな」
「では、羽織どうしましょう」
「全部くださいな。良いものばかりだし。明日にも家に持ってきてください。お代はそのときに」
「ありがとうございます。おーい三吉! 旦那さんがお帰りだ」
「はい」

玄関口で独り言のように春日楼の親分は言った。

「一段と寒くなってきましたな。雪でも降りそうだ」
「はい今、ちらほらと」と三吉が店の蛇の目を差し出した。