謎多き天才が残した一枚の絵画をめぐる、
超大作アート・ミステリー。
写真家の宗像は、偶然訪れたロンドンの画廊で、一枚の肖像画に心を奪われる。絵画の名は、夭折した謎多き天才画家ピエトロ・フェラーラの「緋色を背景にする女の肖像」。フェラーラの足跡を追い求めてたどり着いたポルトガルの地で、宗像は美術界を揺るがす秘密に迫っていた。美術界と建築界に燻るスキャンダル。その深部と絵の謎が交錯していく。アートに翻弄された人々の光と影を描き出す、壮大なミステリードラマを連載でお届けします。
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今度はエリザベスが驚愕する番だった。全く信じられない言葉を聞いてしまったというような恐ろしい顔付きをして宗像を見返した。かと思うと、それは一瞬、真っ青な顔に変わり、きつい眼つきで宗像を睨みつけた。だが一方で、それを言うべきかどうか逡巡していたようだった。
しかし結局最後は憑きが祓われたように、か細い静かな声に変わった。
「あなたはなぜその名前を知っていらして? まだあなたには言ってないはずのこと? 私が、そう……私がエリザベス・ユーレ・ヴォーンであると」
とんでもない思い込み、狂気の発言とはいえ、自分の直感が的中してしまったことが分かって、今度は宗像の方が蒼ざめた。暫くは一言も発することができなかった。
「やはり……そうでしたか? でもユーレという名前の説明の前に、まずこのことからご説明いたしましょう。
今朝、私が飛行場へ着くと、レーダーの故障で全ての飛行機が飛べなくなっていました。リスボンには行けず、時間も空いてしまった。それでホテルで調べて、時間つぶしにこの画廊街を散策することにしたのです。そうしたら、ここであなたを見つけたという具合で」
宗像はまずそのことを弁解した。続いて、ロンドンのギャラリー・エステで、偶然手に入れたフェラーラ作のリトグラフのこと。そしてその折にコジモから誤って渡されたフェラーラの家族写真。
さらには、ナショナル・ギャラリーで調べたフェラーラの略歴や、エストリルのカジノで偶然出会ったフェラーラの油絵。画家ピエトロ・フェラーラに関する、これまでの奇妙な経緯を手短に説明したのだった。
「先日ロンドンでフェラーラの絵を手に入れた折、店主コジモ・エステ氏から間違って渡された写真がフェラーラの家族写真だったようなのです。作品集の略歴では、子供は一人のはずなのに、家族写真には二人の子供が写っていました。
ですから略歴に記されたユーラさんとは別に、もしかしたらと、瓜二つの少女の存在に気がついたのです。写真の裏に書かれたその少女の名はユーレさんでした」
【登場人物】
宗像 俊介:主人公、写真家、芸術全般に造詣が深い。一九五五年生まれ、46歳
磯原 錬三:世界的に著名な建築家一九二九年生、72歳
心地 顕:ロンドンで活躍する美術評論家、宗像とは大学の同級生、46歳
ピエトロ・フェラーラ:ミステリアスな“緋色を背景にする女の肖像”の絵を26点描き残し夭折したイタリアの天才画家。一九三四年生まれ
アンナ・フェラーラ:ピエトロ・フェラーラーの妻、絵のモデルになった絶世の美人。一九三七年生まれ、64歳
ユーラ・フェラーラ:ピエトロ・フェラーラの娘、7歳の時サルデーニャで亡くなる。一九六三年生まれ
ミッシェル・アンドレ:イギリス美術評論界の長老評論家。一九二七年生まれ、74歳
コジモ・エステ:《エステ画廊》社長、急死した《ロイド財団》会長の親友。一九三一年生まれ、70歳
エドワード・ヴォーン:コジモの親友で《ロイド財団》の会長。一九三〇年生まれ、71歳
エリザベス・ヴォーン:同右娘、グラフィックデザイナー。一九六五年生まれ、36歳
ヴィクトワール・ルッシュ:大財閥の会長、ルッシュ現代美術館の創設者。一九二六年生まれ、75歳
ピーター・オーター:ルッシュ現代美術館設計コンペ一等当選建築家。一九三四年生まれ、67歳
ソフィー・オーター:ピーター・オーターの妻、アイリーンの母。
アイリーン・レガット:ピーター・オーターの娘、ニューヨークの建築家ウィリアム・レガットの妻。38歳
ウィリアム・レガット:ニューヨークでAURを主催する建築家。一九五八年生まれ、43歳
メリー・モーニントン:ナショナルギャラリー美術資料専門委員。一九六六年生まれ、35歳
A・ハウエル:リスボンに住む女流画家
蒼井 哉:本郷の骨董店《蟄居堂》の店主
ミン夫人:ハンブルグに住む大富豪
イーゴール・ソレモフ:競売でフェラーラの絵を落札したバーゼルの謎の美術商