この地方の冬の訪れは早い。十一月の初旬だというのに、山ではもう初雪が降ったという。

「このごろは、夏でもあの別荘地までタクシーで行くお客さんなんかいませんよ。十年前が懐かしいね。バブルがはじける前は、一日に三往復もしたもんだけどね」

聡は黙って八荘山を眺めた。聡もまたこの地方の生まれである。父が営林署に勤めていたので、父の転勤と共にここらの小学校を転々とした。東京の銀行に就職したが、しばらくしてこのあたりの営業担当になった。

その頃は鉱山の開発でこの地域には活気があった。竹尾村には今でも当時の賑わいを偲ばせるように、小さなSLの展示された資料館がある。やがて鉱山は閉鎖されたが、代わりに発電所ができて、聡は電力会社への融資に一役買ったものだった。

そうやって、みんな一生懸命働いて、この貧しい山深い地域は開発され、ボーリングをしたら温泉が出たというので一躍観光地として宣伝された。

俺にも縁のある土地だと思って、南八荘源別荘地が売りに出されたときには、まだ生きていた親父と相談して、一区画買ったのだ。そのころ、この地域は、そして日本は春だった。

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『百年後の武蔵野』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。