《だが、いま、アダム・スミスの時代のように、政府の公的介入を全廃し、補助政策をすべて廃止できるであろうか。その答えはノーである。もしも政府の補助政策を全面的にやめれば、いまの資本主義国も社会主義国も大きな社会紛争をまねき、社会そのものを維持できなくなるであろう。いまの社会には沢山の不平等がある。

貧富の対立は深刻であり、貧困者を放置すれば、生存の保障はできないであろう。産業組織をみると、市場を占有する独占的な大企業と中小企業との間には経済上大きな格差がある。産業構造では、自然に依存する農林漁業とそれ以外の工業やサービス業との生産性には格差がある。集積利益をもとめて、企業は大都市に集まるので、大都市と地方都市・農村の地域的不均等はすすんでいる。

このような社会的経済的地域的不均等は、市場制度の下では自動的に解決できない。むしろ、競争がすすめばすすむほどひどくなるといえる。》(※太字処理は庄司による)

少し長くなったが、宮本の言わんとしていることは、根岸や岡野の主張と同じである。マルクス経済学者と近代経済学者のターミノロジーの違いだけであって、両者とも市場で解決できない部分に補助金が導入される、と言っている。これが補助金の必要性如何という問いに対する経済学からの回答である。

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『補助金の倫理と論理』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。