ボクらをパリに連れてって!

それは、デイナイトクリニックに通う若い患者さん2人の、こんなやりとりから始まりました。

「パリか……いいなあ。行ってみたいなぁ」
「無理だよ、おれたち病気なんだから」
「先生、ボクらをパリに連れてってよ!」

外国の風景写真集を広げながら、なんのきなしに話していたのだと思いますが、私は考え込んでしまいました。

“彼らにパリを連れて行ってあげることは、出来ないだろうか?”

薬をきちんと服用すれば、症状はコントロールできます。費用は参加者負担になりますが、朝から晩までデイナイトケアにいて、食事(昼食と夕食)も無料提供される彼らはあまりお金を使わない生活をしており、そこそこの貯金を持っているのです。

いまや毎年1500万人を超える人たちが、海外旅行を楽しむ時代です。こころの病があるからといって、行ってはいけない理由はありません。

では、なにが問題か? 精神科のクリニックが「患者たちを海外旅行に連れて行きたい」と言っても、引き受けてくれる旅行会社がなかなかないだろうことは容易に想像がつきました。団体となると航空会社にも「安全確保のため」などの理由で搭乗を断られるかもしれません。それでも日頃から、「こころの病をもっているからといって閉じ籠もっていてはいけない」と言っている私としては、彼らが最初から「無理なんだ」とあきらめてしまっているのが残念でなりませんでした。

「彼らをパリに連れて行ってやることはできないだろうか?」

ある日の会議でこう提案すると、スタッフはあっけにとられていました。精神科のクリニックが患者を連れて海外旅行へ行くなど、聞いたことがありません。

案の定、否定的な意見が大半をしめましたが、「なにが実現できない原因か」と問うてもこれといって具体的な答えは出てきません。なぜかというと、スタッフにも海外旅行の経験豊富な者がいなかったからです。

さすがに私もいきなりパリに連れて行くのは不安になり、まずは手近な香港に行ってみようということになりました。旅行代理店を探し、なんとか航空券とホテルを手配してくれるところは見つかりました。

ところが、本当に大変だったのはここからでした。ツアーには添乗員の同行がなく、現地ではなにからなにまで、自分たちでやらなくてはなりません。スタッフはつねに人数確認をしなければならないのですが、黙ってトイレに行ってしまったりお土産屋さんにつかまったりして、いなくなってしまうことしばしば。そのたびにスタッフは手分けをして大慌てで探すのでした。

※本記事は、2017年10月刊行の書籍『ヒューマンファーストのこころの治療』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。