父の死

母のグループホームを訪れてから3ヶ月あまりが過ぎた8月の夕方、姉から電話がありました。介護施設に入居している父がテンカンのような発作を起こし、意識不明になって連携先の病院に搬送された。

詳しい検査によれば、小さな脳梗塞がたくさんあって、脳がかなり萎縮しているので、脳の働きがかなり落ちていると推測される。状態はひとまず落ち着いているけど、意識は戻らず、戻るきざしもない。従って、食べ物を噛んで飲み込むこともできない。この状態で、担当医から説明・提案があったそうです。

「点滴で水分と微量の糖分の補給だけ続けようと思います。そうすると2~3ヶ月で自然に衰弱して亡くなられるでしょう。胃瘻を作ればしっかり栄養補給できるので、もっと長い間延命できますが、尊厳死を望まれているのなら、そのようなことはしない方がいいかと考えています。親族のご意見はいかがでしょうか?」

姉は、自分の意見として、その方針を受け入れたのですが、わたしの気持ちを確認するために電話してきたのです。わたしももちろん、その担当医の方針に異存はありません。そう返事しました。

電話を切って、わたしはとりたてて動揺はしなかった。来るべきものが来た、想定よりちょっと早かったかもしれないけど。

わたしの経験では、父はあと2~3ヶ月くらいで死ぬけど、具体的に何月何日に死ぬかは予想できない。ある日、ある時、病室を見回りに来た看護師が、父がもはや息をしていないのに気付き、医者が呼ばれ、死亡を確認し、姉に連絡され、姉からわたしに電話が来る。

その2~3日後にお葬式。だけど、わたしの立場では、連絡を受けて2~3日後の仕事をドタキャンすることはまず不可能。だとしたら、葬式には出席できないと想定しておくべき。

その前に、予定を組んで、仕事を休む手配をするか連休を利用して、父に会いに行くべきでしょう。カレンダーで9月下旬に連休があることを確認して、飛行機の切符を予約しました。

※本記事は、2017年4月刊行の書籍『孤独死ガイド』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。