9月24日(木)

暗転

                                              

A先生とは7時の約束であった。

私とあい子は6時40分に良子のところに着き、A先生を待った。

「照ノ富士、負けてしまった」

と良子は笑顔で言った。

「何か、本、持ってきてくれた?」

私は家に寄って、『今日の料理』のバックナンバー9月号が来ていないかと、それは確認したのであるが、それだけで、そのまま来てしまった。私自身が落ち着きを失っているのである(『今日の料理』は病院から帰ってみるとポストに入っていた)。

売店に本は少ししかなかったし、良子の好みそうなものは見当たらなかった。

「明日は検査やし、明後日でええよ」と良子は言った。

(明日、25日は、能楽堂で『紅天女』を観るため、来られない、と言ってあった)

胃の検査は、ついでにするのだろう、くらいに思っていた。

別件が長引いて、30分遅れの、7時30分にA先生は見えた。

明日の検査について良子と少し話した

「コブがあるそうですけど、がんではないんですか?」と良子は訊ねた。

先生は、がんと確定できない、というような曖昧な返事をしたと思う。私にはよく聞き取れなかった。PET検査もする、と聞こえた。

私の位置から見える良子は横顔で、目の動きがどうだったのか、表情の変化も分からなかった。

先生は私とあい子に、「パソコンでしか画像は見えませんから」と別な部屋へ誘った。

良子は自分が誘われなかった理由を、鋭く感じたはずである。のんびりとはしているが、鈍感な女ではない。体はまったく自由なのだ。

カバンを置いて行こうとすると、

「そのまま帰ってええよ。持って行ったら?」

と言った。

先生の話を聞いた私と、話したくなかったのであろう。私も話したくなかった。

カバンを持って私は部屋を出た。

A先生の説明は、あい子の要約によれば、次の通りである。

1. 大腸の検体、及び血液検査によれば、普通大腸がんには見られないもの(印環細胞)が入っている。

2.従って大腸がんが原発でなく、むしろ、胃からの“転移先”の可能性が大きい。

3. そういうことを予期して明日の胃検査を予定したのではなかったが、胃検査が極めて重要なものとなった。

4.もし胃にがんがあって、腸へ転移したものであれば、おそらく手術の意味はない。手遅れだろう。

5.抗がん剤治療をして、余命1年と思われる。

6.胃がんでない可能性はある。

7.膵臓がんはないと思う。

8.胃がん、大腸がんの治療はほぼ確立しているので、「国立がん研究センター」のようなところへ行っても、することは同じと思う。

9.抗がん剤については患者の負担の少ないものもできている。

胃がんでない可能性、のひと言は、私たちへの“気休め”のように思われた。

私は明日の能楽堂はやめ、先生からの呼び出し電話を、自宅で待つことにした。

9月25日(金)

光明

終日、雨が降り続いた。

今日は自宅待機した。出勤は取りやめた。A先生に4時頃から待つように言われていた。気持ちは暗澹たるものであった。

随分昔であるが、良子に、「オレと結婚して良かったか」と訊ねたことがある。

「まだ結論は出ていない。これからよ」

というのが返事であった。

それが、10年ほど前だろうか、どこか旅先で、

「結論が出た。お父さんと一緒になって、良かった」

と言った。「感謝している」と言った。

「もし感謝してくれるなら、お返しはただ一つだ。オレより先に死ぬな」

「そんなこと、分からん」と良子は言った。

そんなこと分からんのは当たり前である。しかし、「そうするわ」と答えても嘘ではない。いつの場合も当たり前に考え、当たり前のことを言うのが、私の妻である。適当に、ということができない。

1年、という先生の言葉が、私を痛撃する。

3月に賢島から伊勢へ行ったら、もう半年だ。京料理を食べたら、もう、命は尽きるのか。

そのあと、私はどう生きるのだろう。おそらく、生きることがめんどくさくなるだろう。

16時前にあい子は帰宅した。

随分前であるが、末期がんで医者から余命を告げられたとき、私は、「直ちに教えてくれ」と言った。良子は「黙っていてほしい。告げないで」と言った。

私はそのことをあい子に話し、今もお母さんが同じ考えなのか知る由もないが、「今日の先生の話が最悪であった場合、お母さんには隠し通そう」と言った。

幸いにも胃にがんがなく大腸の手術が可能な場合、それは状況をお母さんに話そう、と言った。

先生からの電話はなかった。 

6時まで待ったが電話がなく、あい子が病院ナースセンターへ問い合わせた。

A先生は緊急の作業が発生し対応している、とのことであった。

7時半にようやく先生より電話があった。8時半なら大丈夫と思うから、来て下さい、とのことであった。

8時20分に病院へ行った。

駐車場は8時で閉鎖されており、私は守衛さんに事情を説明して、奥の駐車場へ置いた。

雨は降り続いていた。

私たちは良子の部屋を覗かなかった。

もともと今日は来ないと言ってあった。それが能楽堂での観劇をやめて来たとあれば、何の用で来たのか怪しむであろう。そのことは昨夜、先生に話しておいた。テレビや新聞のある談話室で先生を待った。

先生は更に遅れ、談話室の主照明も消えた9時15分に、見えた。「面談室」へ案内されパソコンの画面が開かれて、A先生の解説があった。

A先生というのはお若い方で(40前に見える)、すらっとして髭が濃く、甘さのない男前である。時折見せる笑みに優しさがある。声質はベースで、私にとってもっとも聞き取りにくい音程である。先生も心得て、あい子に向かって話した。

ひきつっていたあい子の顔がさっと和らぎ白い歯が見えたとき、私は良い結果を直感した。

1. 胃にがんは見当たらなかった。検体の検査結果が出なければ確言できないが、CT、内視鏡では、がんは見えない

2. 最初にあってその由来を心配した腹水も、消えている。

3. 昨日話したのは、印環細胞が検出されていて、これは大腸がんにはほとんど見られないものである。てっきりスキルス胃がんから来ており、腹水もそれ故と思った(スキルス胃がんというのは昔、逸見政孝という人気テレビキャスターが48歳であっという間に亡くなった、攻撃性の強いがんである)。

4. 大腸がんに印環細胞の存在することは、非常に稀であるが皆無ではない。私自身も3例ほど知っている。

5. お母様のがんは、非常に珍しいがんである。

そして、

6. 月曜日(28日)に、PET─CTの予約を取ったのち、退院して下さい。予約日は9月29日~10月2日の間として下さい。

7.9月30日、注腸検査(バリウムをお尻に入れる)、採血、呼吸チェック、心電図を行って下さい。

8.10月6日、外科の会議に掛けます。

9.10月7日、手術の打ち合わせをします。 

私は、

「現在確認できた範囲では、大腸がんで他に転移しておらず、その部分を切除する、ということでしょうか?」

「その方向です」

「今日の検査で予測される、最良の結果であったと考えて良いでしょうか」

「精密な検査結果はこれからですが、視認できる範囲では、そうです」

「手術はいつ頃になりますか?」

「それは10月6日の外科の先生方の会議で決まります」

「できるだけ早く、お願いします」

毎日毎日刻々、がんは大きくなっていくような気がする。1日でも早く!

私たちはA先生に深くお辞儀して、部屋を出た。

エレベーターに乗って、あい子と二人でバンザイした。

大腸がんであることは確定であるからバンザイでもないのであるが、転移がなければ、局部を切って捨てれば良いのである。実際に私の周囲にも、大腸を切って5年10年、ぴんぴんしている人はいっぱいいる。

お伊勢参りは去年の午年1月から始めて、月ずらしで毎年1度、参拝することにしている。来年は3月である。

次の午年には、私は84歳、良子は81歳で、再び1月の参拝になる。

それまで二人揃って健在であれば、それで十分ではないか。十分すぎるではないか。 

※本記事は、2019年3月刊行の書籍『良子という女』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。