第3章 世界のパラダイム

ビフォアコロナ アフターコロナ

​9 持続不可能から持続可能社会へ

世界中の識者が声をあげ、文明評論家のジェレミー・リフキンは、アメリカの大量消費社会について次のようにコメントしています。

「アメリカ人は1日に平均で三七四七キロカロリーを摂取している。仮に現在地球で暮らしている七〇億人すべてが、平均的アメリカ人に匹敵する量の資源を消費することで生命を「維持」するとしたら、地球があと四、五個必要だろう。富める者も貧しい者も含め、全人類は目下のところ、地球一・五個分の資源を食い潰している」。(出典:「限界費用ゼロ社会」ジェレミー・リフキン NHK出版)

こうした意見に接するたびに、私はある一節が何十年と心の奥にひっかかっていました。

「この秩序界は現在、圧倒的な力をもって、その機構の中に入りこんでくる一切の諸個人―直接経済的営利にたずさわる人々だけではなく—の生活のスタイルを決定しているし、おそらく将来も、化石化した燃料の最後の一片が燃えつきるまで決定しつづけるだろう」(出典:「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」マックス・ヴェーバー 岩波文庫)。

マックス・ヴェーバーが、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を発表したのは1904年ですが、このときすでに産業資本主義の将来を見抜いていたといえます。産業革命以後、広い世界や天高い空や地球を覆い尽くしている大気のことなど考えずに、一生懸命に働き続けてきた結果、世界は燃えつきるところまで突き進むと考えたのです。

植物やプランクトンなどの死骸が堆積し、数億年という時間をかけて出来上がった、石炭、石油、天然ガスを、人類はわずか数百年のうちに食い潰すのは、とても正気の沙汰とは思えません。