その後、大正、昭和と時代が進み、日本は戦争へと突入していきます。このときの教育はやはり戦争一色。子どもが「戦争に勝つための手段」として使われるという最悪の状態でした。

「学徒出陣壮行会」の映像や、若くして特攻隊となり命を落とした若者の手紙は、今見ても激しく胸が締めつけられます。そういった方々には日本人として感謝していますが、教育者として、これを決して美談で終わらせることはできません。戦争に至るまでの経緯(日本が悪かったとか、欧米が悪かったとか)の問題ではなく、「お国のために」というスローガンのもと、戦争に勝つために子どもの命を利用したような教育を、これからの子どもたちに、二度と繰り返してはいけません。

戦争中の教育は子どもの幸せが目的であったとは到底言えないものでした。そして日本は戦争に負けました。戦後の憲法や教育基本法のもとでの教育も、政治主導でした。

軍事ではなく、経済の強化が行われ、1950年代からは高度経済成長をとげます。この時は、「よりたくさんのお金を稼いで生活を豊かにすること」が国民の夢となり、便利な電化製品や、マイホームを購入することが庶民のわかりやすい目標となりました。

お金を稼ぐことは当然とても大事です。しかし私たちは経済を回すために生きているのでしょうか……。

また、当時は東西冷戦中であり、日本でも、「国際的に通用する技術を身につけた人」「経済発展を支えることのできる人」を育てることが目的とされていたのではないでしょうか。昭和43年の学習指導要領改訂では、それまで以上に教える内容が増えました。

その結果としていわゆる「詰め込み教育」になり、学習塾通いも目立ち始めました。競争心をあおることは、てっとりばやく子どもに「やる気」を起こさせる効果があります。

しかしその結果、「受験戦争」という言葉に代表されるように、競争に勝つこと、他人に勝つことが、学校の中で重視されてしまったと思います。いわゆる「学校が荒れた」といわれるのもこの時期です。

果たして、常に他人と比べられる状態で、子どもは幸せだといえるでしょうか。国や会社にとって都合のよい人間を量産することが「教育」なのでしょうか。私はそうではないと思います。

ここまで見てきたように、基本的に日本はずっと上意下達。立場が上の人の言うことを聞いて動く現場という構図です。「国家のために子どもがいる」という社会であったともいえます。

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『教師は学校をあきらめない! 子どもたちを幸せにする教育哲学』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。