謎多き天才が残した一枚の絵画をめぐる、
超大作アート・ミステリー。
写真家の宗像は、偶然訪れたロンドンの画廊で、一枚の肖像画に心を奪われる。絵画の名は、夭折した謎多き天才画家ピエトロ・フェラーラの「緋色を背景にする女の肖像」。フェラーラの足跡を追い求めてたどり着いたポルトガルの地で、宗像は美術界を揺るがす秘密に迫っていた。美術界と建築界に燻るスキャンダル。その深部と絵の謎が交錯していく。アートに翻弄された人々の光と影を描き出す、壮大なミステリードラマを連載でお届けします。
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しかし美しい光景に言葉は不要だった。黄金色の海を臨みながら、そのまま時間が過ぎ去っていった。右折したためか、車が大きく孕んで揺れたとき、宗像は右手で身体を支えながら言った。
「私に合わせて今晩は東洋的な装いにして頂いたようですね。それで時間がかかってしまったのでしょう?」
「お待たせして本当にすみません。でも、よくお気づきになりますわね。今回、パーティーで着るために二種類のドレスを用意して参りましたの。どちらにするかは、当日の朝の気分で決めればいいと思いまして。でも宗像さんとのご縁で、このようなひと時を過ごすことになりましたから、ええ、ご想像通りの選択をいたしました。そのおかげで明日はどちらにしようかと悩むこともなくなりましたわ。ファッションにもご興味が?」
「男であればという程度です。でも仕事では毎年たくさんのモデルさんを撮影してきましたので、多少の知識という程度は。ちなみにもう一つのドレスはどのような?」
「写真家でしたものね。失礼致しました。もう一つの方も好きな色で、ターコイズ・ブルーのドレスで、とても気に入っておりますのよ。今日のこれは日本のSOTATSU。普段オフィスでは殆どが黒かグレーが中心で、パンツ・スーツが断然多いかしら。反対にウィーク・エンドや特別の日は、彩度の高い色とか柄モノを着ることもございます。特に好きな色がこの二つですので、いつもギリギリまで迷いますの」
「黄色はいかにも難しそうですが、ターコイズ・ブルーも、実際着こなすとなると、コーディネーションがなかなか大変と言われてますね?」
荒々しい凝灰岩の岩場に、幾度となく波が衝突しては、真っ白い飛沫と泡に変わって消えていった。レストラン・ボア・ノヴァはそのような絶景として知られる岩場に取り囲まれて建てられていた。名残りが尽きなかったが、ここでアンホドロのメルセデスとお別れとなった。
車を降りて緩やかな段段を上っていく途中、日没寸前の赤い夕日を見るために、二人は後ろを振り返った。しばらくたたずんでいると、突然、本当に突然というほど素早く、太陽はズルズル、ズルッと、まるでそのような音を立てているかのごとく海に消えていった。
「凄く劇的だったわ!」
「本当に。こういう場所に住めば毎日こんな光景に出会えそうですね」
【登場人物】
宗像 俊介:主人公、写真家、芸術全般に造詣が深い。一九五五年生まれ、46歳
磯原 錬三:世界的に著名な建築家一九二九年生、72歳
心地 顕:ロンドンで活躍する美術評論家、宗像とは大学の同級生、46歳
ピエトロ・フェラーラ:ミステリアスな“緋色を背景にする女の肖像”の絵を26点描き残し夭折したイタリアの天才画家。一九三四年生まれ
アンナ・フェラーラ:ピエトロ・フェラーラーの妻、絵のモデルになった絶世の美人。一九三七年生まれ、64歳
ユーラ・フェラーラ:ピエトロ・フェラーラの娘、7歳の時サルデーニャで亡くなる。一九六三年生まれ
ミッシェル・アンドレ:イギリス美術評論界の長老評論家。一九二七年生まれ、74歳
コジモ・エステ:《エステ画廊》社長、急死した《ロイド財団》会長の親友。一九三一年生まれ、70歳
エドワード・ヴォーン:コジモの親友で《ロイド財団》の会長。一九三〇年生まれ、71歳
エリザベス・ヴォーン:同右娘、グラフィックデザイナー。一九六五年生まれ、36歳
ヴィクトワール・ルッシュ:大財閥の会長、ルッシュ現代美術館の創設者。一九二六年生まれ、75歳
ピーター・オーター:ルッシュ現代美術館設計コンペ一等当選建築家。一九三四年生まれ、67歳
ソフィー・オーター:ピーター・オーターの妻、アイリーンの母。
アイリーン・レガット:ピーター・オーターの娘、ニューヨークの建築家ウィリアム・レガットの妻。38歳
ウィリアム・レガット:ニューヨークでAURを主催する建築家。一九五八年生まれ、43歳
メリー・モーニントン:ナショナルギャラリー美術資料専門委員。一九六六年生まれ、35歳
A・ハウエル:リスボンに住む女流画家
蒼井 哉:本郷の骨董店《蟄居堂》の店主
ミン夫人:ハンブルグに住む大富豪
イーゴール・ソレモフ:競売でフェラーラの絵を落札したバーゼルの謎の美術商