「山が荒れちまった。昔は土岐市や多治見の陶器工場のマキ燃料として山の木を切って売ったものだが、近頃はみな石油燃料になって売れない。だから山の木が放置され山は荒れちまった」とぼやきます。こんな所にも野生動物が跋扈(ばっこ)する状況になった原因があるようです。

山が荒れたように化石医師が趣味の渓流釣りの川とても例外ではありません。各河川の漁業組合員も高齢化し組合員数も減ってきています。

そのような現況を聞き何人かを誘って組合に入会しましたが逆にあまり釣行しなくなりました。面白くなくなったのです。

「今日は釣れるだろうか」「この場所はどうだろうか」。そのような期待により釣行の楽しみも増えます。

しかし先日訪れた川では「もう少ししたら橋の上から魚の放流がある」と橋下で待っている釣り人に出会いました。放流された魚を釣ることはマス釣り場などの管理釣り場となんら変わりません。未知の自然が待っているはずの釣り場が作られた釣り場になってしまったのです。

そのような目で眺めると一度よく釣れた場所へその後何度通っても釣れなかった理由が判明します。放流がされていないだけなのです。

このようになった原因は魚を育てる環境づくりをしない河川管理、釣果を求めるだけの釣り人、その求めに応じ成魚放流を繰り返す漁協にあるでしょう。でも本当に大切なことは目先の釣果だけを追い求めるだけでなく魚が住める環境を整え、魚を育てていくことだと思います。

今私達が切る山の木は遠い昔に祖先が植えたものです。そして今私達が植えている木は100年後のためです。私達の祖先はこのように長期的な目で自然を守ってきました。

健康づくりもまったく同じです。手っ取り早いサプリメントに頼るのだけではなく健康を守る自然づくりと体力づくりが大切なように思います。