国の待機児童問題への対策を振り返る

そこで、待機児童の問題についての国の施策を調べてみると、既に一九九四年から待機児童の問題に取り組んでいたことに驚く。国や地方公共団体は決して待機児童の問題を放置していたのではなかったのである。

① 緊急保育対策等五カ年事業(一九九四年策定):エンゼルプランの具体策として一九九五年から一九九九年までの五年間の保育目標値を設定。しかしながら、すべての目標値が未達成に終わった。

② 待機児童ゼロ作戦(二〇〇一年閣議決定):保育所、保育ママ、幼稚園での一時預かり保育など、二〇〇二年から二〇〇四年までの三年間で一五万人の受け入れ児童数の増加を目指した。一五万人の受け入れ増は達成したが、保育希望家庭が増加し、結局、待機児童数は減らなかった。

③ 新待機児童ゼロ作戦(二〇〇八年策定):保育サービスや放課後児童クラブなど策定。二〇一八年の目標は、三歳未満児の保育サービス提供割合を二〇%(当時)から三八%へ高める。

④ 待機児童解消先取りプロジェクト(二〇一〇年策定):官邸に設置の待機児童ゼロ特命チームが策定し、保育所数や定員数の増加を果たしたが、保育希望家庭数が上回り、待機児童問題の解決とはならなかった。

このように国も地方公共団体も待機児童の問題に継続的に取り組んでいたのである。今、国は、アベノミクスの新三本の矢の一つの施策として「夢をつむぐ子育て支援」を打ち出し、一億総活躍社会の実現を目指している。

一億総活躍担当大臣まで任命していること、また政府が少子化対策として長年いろいろなプログラムを打ってきている。にもかかわらず、待機児童の問題解決は解決されていない。ちなみに首相官邸のホームページを開けると、次のメッセージが目に飛び込んでくる。

一億総活躍社会の実現

我が国の構造的な問題である少子高齢化に真正面から挑み、「希望を生み出す強い経済」、「夢をつむぐ子育て支援」、「安心につながる社会保障」の「新・三本の矢」の実現を目的とする「一億総活躍社会」の実現に向けて、政府を挙げて取り組んでいきます。

また厚生労働省のホームページの待機児童問題を開けると、さらに追加の取り組みに触れられていた。更新日は平成二九年六月二日となっている。これらの取り組みで本当に待機児童問題を解決できるのであろうか。

写真を拡大 [図表1]待機児童解消に向けた取組 
出典:首相官邸ホームページ
写真を拡大 [図表2]待機児童数及び保育利用率の推移 
出典:首相官邸ホームページ

待機児童問題の解消を二〇一九年度末に先送り

一方で、日経新聞などによると、平成二九年四月一日時点で三四政令区と都区で、一六市区で待機児童が増加していると発表している。さらに厚生労働省は、待機児童問題の解消(ゼロの実現)を二〇一七年度末から二〇一九年末に先送りした。なぜ、待機児童の問題は解決されないのか。私なりの意見は別の章で述べたいと思う。

決断

子どもを保育所に入れたくても入れることができない女性たちの悲痛な声や悲鳴を聞いて、二〇一五年一二月の六四歳の時に保育士になる決意をした。そして必死に勉強し、保育士試験に合格し、一年三カ月後に保育士となった。

正直言って二〇一五年まで、保育士の仕事が何かも知らず、まして保育士が国家資格であることさえも知らなかった。保育士の仕事は保育所の前を通り過ぎる時に、外から垣間見るくらいでよくは知らなかった。ピアノも弾けない、今どきの子どもたちの好きな歌もきちんと歌えない、典型的な女性の職場に上手く適応できるのか、まして自分は若くはない、未経験の環境でお役に立てるのか。

そんな不安や疑問が一杯あった。でもいたたまれなかった。なにか、やらねば、という気持ちがあふれた。そうして二〇一七年春、保育士となり、新たなスタートを迎えた。

※本記事は、2018年8月刊行の書籍『じーじ、65歳で保育士になったよ』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。