2013年7月1日 優しさを考える

私がこのセンター便りを書き始めて丸2年になりました。最初は医療にかかわるいろいろな話題を書いていこうと思って始めましたが、書いているうちに私が日々思っていることを書きたい気持ちが強くなりました。

医学は自然科学の一分野ですが、医療は社会科学の一分野であり、その中でも最も人間臭い分野ではないかと思います。日々多くの患者さんと接していて、病気を治すことは大事だけれど、病める人を癒やすこともとても大事だと身に染みて感じています。とても難しいことだとは思いますが、今回もそんな話題を書いてみたいと思います。

「優しさ」って何だろうとよく考えます。辞書には「他人に対して思いやりがあり、情がこまやかである」と書かれています。人に優しく接すること、人の気持ちを配慮すること、人を受容すること、自分より人を優先することなどなど、これらはすべて「優しさ」であり、いろんな優しさがあることに気付きます。

毎日の生活の中でも、目に見える優しい行動はたくさんあります。優しく接することは、考えようによってはひとつの技術でもあり、ファーストフードのマニュアルのように人に優しくするマニュアルだってできそうです。

でも、人を受容すること、自分より人を優先することなどはもう少し高級な優しさでしょう。そう考えると、たぶん、優しさの溢れる表現をすることが優しさの本質ではないと思います。

困っている状況にいる人に手を差し伸べることは誰の目にも優しく映りますが、それが本当に優しさなのかどうか。敢えて手を差し伸べないほうがその人のためになることもある、そのことを冷静に考えて手を差し伸べないことも優しさではないかと思います。

映像文化の影響か、現代は表面的な優しさを求める傾向にあります。優しく声をかけること、優しく手を差し伸べること、これらは人を癒やすと思いますが、本当の優しさは何かと考えれば、表面的には優しくないことが、本当の優しさである場合もあると思います。

現在の医療はずいぶん進歩し、以前は治療できなかった疾患が治療できるようになりました。関節リウマチのような慢性疾患では10年後、20年後も現在と変わりないレベルの生活が保障できるようになりました。しかし、その治療手段の中には、入院が必要であったり、頻回に受診しなければならなかったり、医療費がかかったり、それなりの苦痛を伴うものも多いのが実情です。

「辛い治療を勧めない医師が優しい医師である」というような意見もあります。実際、患者さんの耳に優しい話をする医師のほうが人気があるようです。病気に苦しむ人はこれ以上苦痛を味わいたくないという気持ちでおられるのは痛いほど分かります。

しかし、医療における本当の優しさは、優しい言葉をかけることではなく、その患者さんにとって最も適切な治療を勧めることであると思います。

特に関節リウマチでは、新しい治療手段が多数開発され、同じ病気でもいくつもの治療の選択肢から選べる時代になりました。そのような環境では、患者さんに対して安易な治療手段や、耳に優しい言葉などを選びがちですが、大切な治療法をそのようにして選択することが本当に優しい医療ではないと思います。

当センターを受診される患者さんにおかれましては、そのあたりもご理解いただければ幸甚と存じます。

梅雨明けはもう少し先になりそうです。体調を崩しやすい天候が続きますので、くれぐれもご自愛のほど。

※本記事は、2019年1月刊行の書籍『リウマチ歳時記』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。