ここで杉井は困った。どれが一装でどれが三装かも不明であり、靴もどれが編上靴なのか俄かには分からなかった。

やむを得ず目の前のものをあれこれ物色していると、隣にいた藤村が、
「これとこれだ」
と、およそ親切という概念とは対極にあるなげやりな言い方で教えてくれた。

このような窮状に陥ったのはもちろん杉井だけではなく、ほぼ全員がこの一切の解説を省略した指示に動揺していた。しかもこの命令にはもともと無理があった。

各初年兵の身長、体重などを勘案して配布されている訳ではないため、仮に三装と編上靴を正しく選択しても、実際の着用が可能とは限らなかった。

「靴が小さすぎて入りません」
「周囲の足の小さい者と交換しろ」
「上着のボタンがはまりません」
「服に体を合わせろ」

そんなやりとりがそこかしこで展開された。しかし、営庭へ集合しろとの命令だけはすべてに優先させねばならず、取り敢えず四十人は兵舎の外へ出た。

諸調整に要する時間の不足は否めないところであり、入らない靴を引きずる者、上着のボタンが二つしかはまらない者、逆にダブダブのズボンが下がらないよう押さえている者、帽子をあみだに被っている者など、その出で立ちに欠陥を伴っていない者は皆無に近かった。

杉井は、烏合の衆とはこのような集団を指すための言葉ではないかと思った。杉井はと言えば、幸い軍服はややきつい程度で何とかなったが、問題は帽子だった。

もともと、杉井は頭の回りが標準より大きく、学帽も市販の大きなサイズでも十分でなかったため、特注してもらっていた。当てがってもらった帽子はとりわけ小さく、やむを得ず頭にのせるだけで営庭へ向かった。

見兼ねた藤村が大きめのものを被っている者と取り替えてくれたが、それでも小さく、結局被服庫へ行って特大の帽子を持ってきた。配布されたものはすべて中古であったが、この特大の帽子だけは明らかに新品であると思われた。

軍服を着て全員整列したが、どの服にも汗と油と馬糞と煙草の香りが複合的に染み込んでおり、異様な匂いを放っていた。

※本記事は、2019年1月刊行の書籍『地平線に─日中戦争の現実─』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。