第9章 祖母、父母の老いと死:孤独死を考える背景

2 父と母:安らぎ

着実な進行と急展開

それから2年半、2011年のゴールデンウィークに実家を訪れた時、母はわたしを自分の子供と認識できなくなっていた。第2章に紹介したエピソードはこの時のことです。

「ゆたか」という名前の子供がいることはかろうじて覚えているらしく、わたしが「ゆたかです」と名乗ると、「うちにもゆたかという名前の子供がおります」と応じてくれるけど、目の前にいる人物が自分の子供のゆたかであることは認識できない。

茶飲み話のあいまに5分おきくらいに「ところで名前は何とおっしゃいますか」と繰り返し尋ねる。このような状態でも、一応は自立した生活を営めているのが不思議なほどでしたが、長年住み慣れた住居で変化のない日常生活を送るのは、認知症がかなり進んでも可能なのだろうと認識を新たにしました。

母はそれなりに元気だけど、父は2年半前に比べ心身ともにかなり衰え、一日のほとんどを寝て過ごしています。寝室に使っている和室に入ると、布団にくるまれて静かな寝息を立てていた。2年半前は父の方がずっと元気だったのに、急に衰えてしまった。

この日も、実家を出た後に姉に会いました。父の状態を話すと、「男の人は、町内会であれ老人クラブであれ、何か社会的な活動をしているうちはしっかりしているけど、やめると急に衰えるね」とのこと。母に関しては、ボケながらも元気で、それなりに楽しそうに暮らしているのはありがたいのだけど、火事を起こさないか、それだけが心配だと語っていました。

確かに、あの状態でガスコンロなどを使って炊事をするのは危険かもしれない。似たような状況で失火した事例はあるから。

かといって、炊事をやめさせることもできないし、ガス器具を撤去するという「実力行使」も無理でしょう。火事が起こらないことを祈るしかないのかな……こんなわたしの心配をよそに、事態は急展開しました。

わたしが東京に戻ってから間もない5月下旬、父が転倒して足腰が立たなくなり、車椅子生活になって急激に認知症が進み、自宅での生活が不可能になって、6月に施設に入所した。一人暮らしになった母も認知症がさらに進みました。

認知症どうしであっても、お互いに支え合う部分はあったのでしょう。母も結局8月に別のグループホームに入所しました。2ヶ月のうちに父と母を別々の施設に入所させる、この仕事をてきぱきと進めたのは姉です。この間、電話でのやりとりはあったけど、わたしはほとんどなんの手助けもできなかった。