アインシュタインの相対性理論によれば、宇宙船が光速に近づくにつれ宇宙船内の時間は地球時間に比べその進行が遅くなります。そうしますと、光速と同速になれば、地球時間は元のまま進行しているにもかかわらず、宇宙船内の時間の進行はゼロになります。又、宇宙船が仮に光速を超えたとしますと、宇宙船内の時間の進行の向きはマイナスになります。

これは時間の進行が逆行し過去に戻ることを意味しています。このことから生じることは重大です。その1つの例として、光速に近い宇宙船で宇宙に行き宇宙船時間で1年後に地球に帰還した場合、地球では、例えば、10年も経過していたという浦島太郎効果を経験することになります。しかし、このようなことで済めば、まだ納得することのできる範囲のことではあります。

さらに深刻な問題は光速の宇宙船で宇宙へ出かけて行った時に生じるものです。宇宙船時間は出発から光速への加速に要した時間と光速からスピードゼロにまでの減速に要した時間しか経過しないことになりますから、仮に宇宙船に搭乗している人体にもその時間が適用できるものとしますと、人は地球時間で何十億光年の彼方の宇宙にも出かけて行くことができることになります。

問題は地球に帰還した時に生じます。すなわち、宇宙船時間は少ししか経過していなくても地球時間は何十億年も経過していることになりますから、懐かしい家族や友達に会えないことはもとより、地球そのものが消滅している可能性迄あることになります。

従って、我々が地球上を旅行するように宇宙を自由自在に往来するためには、時空を超越して光よりも遥かに速く移動することができ、しかも宇宙時間と地球時間のずれはなく、また過去に戻ることもない、という我々の現在持つ知識では全く不可能なことを達成するしかないことになります。

仮にこのようなことが実現できたとしますと、我々は銀河系、宇宙の地平線の果て迄、それを越えて続く我々の在籍する宇宙の何処にでも出かけていくことができることになります。

なお、これでも、宇宙のあらゆる箇所にしかも同時に遍在するという神の概念にはまだまだ及びもつかないことは否めません。

確かパスカル(17世紀のフランスの哲学、数学、物理学者)だったと記憶していますが、「一つのものがあらゆる箇所に同時に遍在する」ということを可能にするものとは、「無限の速さで動く点である」と言っています。

対して、プランク定数(ドイツの理論物理学者のプランクが導入した量子力学に現れる基礎定数の一つ)によりますと、時間は滑らかに進むものではなく不連続に進むということですが、連続の切れ目の隙間の一瞬に神は宇宙の隅々をかけ巡るということでしょうか。

プランク定数は、しかし、速さも不連続であることを示していますから、無限の速さはないということになります。そうしますと、パスカルの哲学的発想は水泡に帰したことになるということでしょうか。

※本記事は、2020年9月刊行の書籍『神からの自立』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。