私(西野鉄郎)は高校生に英語を教えています。N(西野作蔵)君は私の塾のOBです。上智大学の2年生で、ロシア語を専攻しています。帰省中の冬休みのある日、私たちは茶房古九谷(九谷焼美術館内)で会いました。話は弾み、3日連続で、「織田信長と古九谷」について話し合いました。

2日目 新前田三代論 前田三代の虚実

この章(2日目)は本作品の結論を導くための「前田家三代の知識編」という位置づけになります。前田利長はまだ馴染みがありますが、利常になると、よほどの歴史好きしか知りません。印象の少ない藩主というイメージです。そうしたイメージを払拭しながらの説明です。

利家が加賀に「信長の理想郷」をつくったように、利長は高岡を「高山右近の理想郷」にしようとします。加賀一円に南蛮寺を建て、日本で初めてクリスマスを祝うなど「加賀には南蛮の風が吹いていた」といった話を詳細に掘り起こしていきます。

徳川への反抗心 金沢東照宮と四国拒否

N:ところで「傾奇者」利常のスカッとした話はありませんか?

私:そんな話があれば、徳川に潰されかねない。

N:あっても徳川への陰口くらいのレベルですか?

私:4代光高が東照大権現(家康)を金沢城に勧請する。この時に利常は子を諌めた。「徳川が衰えたら、どこへ遷宮するつもりか」。

N:そういえば、利常、大坂の陣の恩賞(四国)を拒否したのでしたね。22歳くらいでしょう? 気骨はありますね。鼻毛3センチ、立ちション、陰嚢にも反骨心を感じてきました。そういえば、四国拒否も家康の絶頂期、つまり、豊臣家を潰して意気上がるまさにその時でしたよね。よくぞ利常は拒否しましたね。