解けた犬の金玉の謎 平成十六年五月三十一日掲載

人生色々、出会いにも色々あります。良き人との出会いは人を成長させます。一方、植物との出会いは人の心を豊かにしてくれます。

先日、絶滅の危機にあるイヌノフグリに出会いました。それは教師になって二十年以上続けている「春の草花調べ」の授業のときで、本物を見たのは初めてでした。高崎の方から「オオイヌノフグリとどこが違うのですか」と問い合わせの電話を頂きました。直径が一センチ近くあるオオイヌノフグリは上毛新聞の「花のいろいろ」と言うコーナーでも紹介されました。

俳句や詩の世界で「犬ふぐり」と詠まれているのは、ほとんどオオイヌノフグリのようです。草野心平さんも、咲きそろった花を「コバルトの盃に天の光を満たしている」と表現しています。

生徒がニタニタする「ふぐり」という下品な名前が、どうして付いたのか疑問がありました。その謎がイヌノフグリとの出会いで解けた気がします。日本に先に存在していたイヌノフグリの花は直径が三から五ミリの薄ピンク色で、オオイヌノフグリより花も葉も小さく、その存在に気がつかないほど目立ちません。

しかし、驚いたことにその果実だけはまん丸と大きく太っていて、こっちこそ大きな犬のふぐり(睾丸)だと感動してしまいました。もしも先にオオイヌノフグリがあったなら、星の瞳のような、この花の可憐さを表すような名前が広まっていたに違いないと、今回の出会いで実感しました。

* このイヌノフグリ発見の記事は四月二十六日の上毛新聞に掲載されました。在来のイヌノフグリは花は小さくて全く目立ちません。しかし、果実は大きくふっくらとしていて、当時の人たちが「犬の金玉」そっくりだと、まず花より果実に目がいったことが推察されます。日本在来のイヌノフグリが基準となってオオイヌノフグリと命名されてしまったのです。

ミミズの不思議な生態 平成十六年八月十六日掲載

先日、新聞に「ミミズが日照りのアスファルトに沢山死んでいるのはなぜか」という疑問が載っていました。こんなときは専門書や図鑑を調べるよりインターネットで検索するのが一番です。

ありましたありました。この疑問はダーウィンも悩んだようだとか、民話にも出てくるとか、何千年も前から繰り返されているとか。年に一度、夏の下弦の月の日に出てくるとか、嘘か本当かわかりませんが興味深い内容が沢山載っていました。

ミミズはナメクジやカタツムリ同様に雌雄同体で、雄になったり雌になったりします。また、ミミズの糞が腐植土を形成し、植物の生長に大きく貢献していて、最近の研究では地上のほとんどの土は、少なくとも一度はミミズの体を通っただろうと言われているそうです。

以前、子供電話相談室ではその理由を、「暑さそのものと、土の中の酸欠状態(一般的に固体の物質は高温の水によく溶けるが、酸素などの気体は高温だと空気中に逃げてしまう)で、夜のうちに出てきて、朝日が昇るまでに元の土に戻れなくなり、眼が見えない(ミミズの名の由来は、メ・ミエズ)ので、もう一度土の中にもぐり込むこともできず、強い太陽の光と熱で短時間で動けなくなる」と回答者が答えたそうです。

真夏の高温とコンクリートとアスファルトがミミズを死に追いやる原因になり、今年は猛暑で全国各地でミミズの死体が散乱しているようです。

スギ花粉はなぜ飛ぶか 平成十七年四月十三日掲載

「ハクション」

今日もまたくしゃみと共に目覚める。去年が楽だった分、今年は目にくる鼻にくる喉にきます。スギ花粉には長年苦しめられてきました。考えてみれば花粉とは何のためにあるのでしょう。

花というものは元来人間の目を楽しませるために咲くものではなく、生殖の目的で咲くものです。つまり子孫維持の大目的のためです。花は科学的には生殖器にほかなりません。花が実を結ぶためには雌しべに花粉がついて受粉が行われなければなりませんが、この花粉を運ぶのは主に昆虫です。このような花を虫媒花と言います。

そこで昆虫の気を引くために美しい花びらで着飾り、昆虫を誘惑する香りを発し、好物の甘い蜜まで用意するのです。ところが杉などの風媒花では受粉しやすくするため花粉は小さく軽く、遠くまで飛びやすいようにギザギザや、ゴルフボールのように凹面があったりします。

その飛距離は八〇キロ以上、強風に乗ると二〇〇キロとも言われています。風媒花は美しく着飾る必要がないので綺麗な花びらなどありません。桜の花見に興じる人は沢山いますが、杉の花見をする人がいないのはこのためです。

このように、虫の助けを借りずに受粉させようとする植物は大量の花粉を作り、それを風に運ばせて受粉させるのです。受粉できる確率が低い分、大量の花粉をまく必要があります。そのため、また今日もあちらこちらで「ハクションの嵐」が巻き起こるのです。

※本記事は、2018年7月刊行の書籍『日本で一番ユーモラスな理科の先生』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。