首が痛くはないのかな? と思うくらいに見続けていた。男の子は明らかにアイスクリームが食べたいのだとピンときた。

私はすぐに先ほどのピンクのお兄さんが同じ場所にいることを確認し走って戻った。

「すみません。バニラ一つ下さい」と早口で言った。お兄さんも手早く渡してくれた感じがした。私はバニラアイスクリームを落とさないように手元を時々見ながら早足で男の子に追い着くと、

「ハイ、どうぞ」

と、小声で腰をかがめてそっと渡した。男の子は、ゆっくりと受け取りすぐにペロッと舐めた。次の瞬間ニッコリ微笑んでまた、ペロッと舐めた。親は三人の中のどの人かは分からなかったが、全く気づかなかった。

誰一人として後ろから付いて行く男の子の方を一度も振り返らなかったのだ。私は少々の違和感を感じたが、ここは公園で安全な空間だから安心していたからだと思った。そう思いたかったと言った方が正解かもしれない。

確かに、公園が安全であると言うのは間違いではない。しかし全くの正解とも言えないと思う。誰でも自由に入って来られる場所は、逆から見れば危険だとも言えるのだ。親は子供を守る義務がある。私が自分の命と引き換えにできるものは、ただ一つ、子供の命だ。これは絶対である。

過剰に神経質になるのも良くないことだけれど全く無防備と言うのもよろしくないと考える。たとえば公衆トイレも幼児が一人で入るのは危険だ。私はいつも行くスーパーのトイレでさえも子供一人では行かせない。必ず一緒に付いて行く。男子トイレの場合は、トイレ入口外で待っている。

また、買い物に行く車中で子供が眠ってしまった時も、決して子供だけ車中に置いて行かない。起こして目を覚ましてくれれば助かるが、そうでない場合はおんぶをして買い物をする。さすがに二人一緒におんぶはできないから、一人は起こすのだが。

駐車場やトイレの事件もニュースで報道しているのを見たことがあり、百パーセント安全はあり得ないと言うのが私の認識だ。

私の考え方でもう一つは、我が子も他人の子も一緒と言う考え方だ。自分の子供がアイスクリームが食べたいと思い、それを他の子供が見た場合、よほど体調が悪いとかがない限りは、やはり食べたいと思うのだと言う考え方だ。

今日会った男の子の親が、もしもアイスクリームを買って食べさせていたとしたら私は何もしないのだけれど。そうではなかったため、余計なお節介をしたのだ。

いつの間にか、その男の子の姿は視界から消えていた。子供たちの手元からもアイスクリームが消えていた。私たちは、レジャーシートへ戻りいったん靴を脱いで足を伸ばした。足がスーッとして気持ち良かった。心地良い風が吹いて、子供たちは今度は空を見上げて人差し指をピンと立てた。

「アッ、飛行機!」二人の声は揃っていた。青い絵の具のキャンバスに、尾翼の後から白い線がスーッと一本だんだん長く描かれて行くのが見えた。

私はふと思い出した。

あの男の子も、飛行機雲を見ているかな?

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『プリン騒動』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。