ところが、三年ほど取引をしたころ、その会社が倒産してしまいました。手形は不渡りとなり、銀行で割引していましたので、支店長が何度も取り立てに来て、とうとうその支店長とけんかになりました。

「おたくも困るか知らんけど、うちは仕事もお金もなくなってもっと困っているんだ。払えるわけないだろう」と、怒鳴ってしまいました。本当に八方ふさがりの状態でした。債権者会議が開かれましたが、結局一円も戻ることはありませんでした。

うちの工場には旋盤が二台ありました。そのうちの古いほうをスクラップで売ることになり、父も仕方なく承諾しました。わずかのお金にしかなりませんが、少しでも借金の返済に充てるためです。

解体業者が来て、父が長い間我が子のように大事に使ってきた旋盤を大ハンマーでたたいて、解体作業が始まりました。父は「壊さんでくれ!」と言って、わぁと泣き崩れました。

私もどうすることもできず、父の背中をさすり、一緒に泣きました。父に二度とこんな思いをさせたくないと心に誓いました。

先が見えない時ほど不安なことはありません。仕事がなくて止まったままの機械が置かれた静かな工場で、半年後自分はどうしているだろう、一年後は何をしているだろうと思うと、胸が詰まりました。

絶望することは罪である。
そこからは何も生まれない。
どんな逆境においても絶望してはならない。
むしろ絶望という名の不運から
希望ある将来へと導く強さを学ぼう。

『チャーチル150の言葉』ジェームズ・ヒュームズ編
(長谷川喜美訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン、二〇一三)

※本記事は、2017年11月刊行の書籍『霧中の岐路でチャンスをつかめ』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。