S新聞社のビル内には、Sホールがあり、そこで毎年、美輪明宏のコンサートがあった。

澄世は美輪明宏のファンだった。「双頭の鷲」や「黒蜥蜴」の舞台を観、コンサートへは毎年行った。彼の美意識の溢れる舞台と、愛の世界観に惹かれ、コンサートで語られる話が好きだった。

ある時、Sホールの支配人から、またコンサートに来る美輪明宏の話を聞き、澄世はサインが欲しいと頼んだ。気のいい支配人はすぐに手配をしてくれた。

書いてもらった色紙を受け取ると、そこには金色の文字で『慈悲』と書かれていた。慈悲……。

澄世は胸の中で深く考えた。今の自分に必要な、とても大切な響きを胸の奥に感じた。帰って、額に入れ、ベッドからよく見える壁の上の方に掛けた。

毎日、それを見て眠り、目覚めては、それを見て一日を過ごした。以後ずっと、この額と共に過ごす事となった。

時代は二十一世紀になった。澄世の体はもはやボロボロだった。首根っこに五寸釘が刺さっているような激痛があり、腰がだるく痛く、口内には直径一センチくらいのアフタ性口内炎が頬や舌に幾つも出来、頭皮から鼻にかけては吹き出物だらけだった。

とにかく血圧が低く、朝が起きあがれなくなった。平成十三年五月、体調不良の為、澄世は三十四歳で、S新聞社を退職した。