でも、スタッフはどんどん減り、片腕の鈴木君も東京に逃げ帰ってしまいました。そこで、あわよくばイタリアへなどという甘い考えを捨てて、もう一度じっくり状況を見つめ直してみたのです。

まず、東京の会社は私がいなくてもだいじょうぶ。仕事の完成度の高いスタッフたちのこと、きっとなんとかやってくれるはず。できあがった会社よりでき損なっている店のほうがやりがいがある、とは負け惜しみだけでもない私の本音でした。

それにしても、「オーナーさん。これで約束どおり私の仕事は終了しましたので、お渡しします」なんて言える日がくるのだろうか。高い集客率を維持してはいるが、企業としての収支は今後安定していくのであろうか。

我々が作る食品が世界に通用する日が来るのだろうか。このまま自己満足で終わってしまったら、東京の会社を投げだして私がここに来た意味がない――。などと、さまざまな思いが胸を去来します。

先行きは不透明だけれど、いったん引き受けた以上、力尽きるまでやるしかない、と私は腹をくくったのです。

月日は流れて一周年を迎えるころ、本業が多忙となったので店を手放したいと、オーナーから私に相談がありました。いたしかたなく私が買い取るはめになってしまったのです。店舗の所有者がだれであろうと私の仕事や方針に変わりはなく、相変わらず粉まみれになりながらピザの大量仕込みが続きます。

でも、私は開店当初から、ピザの製造方法を独自のものに変えたいと思っていました。日本人の嗜好に合わせた食品を作りたかったのです。そのためには、アルフレードス・レストランシステムズから脱会しなくてはなりません。脱会したうえで自分の味、自分の製品を作り、ピザの製法特許を取得したい――。開店以来、この思いをずっと胸に秘めていたのです。

いつか、きっと時間をつくってイタリアへ行こう。アルフレードス先生の研究室に行ってみよう。そして、アルフレードス・レストランシステムズから脱会したい、けれどその後もアルフレードス先生のチーズや香辛料などの購入契約は継続したい、と直接お願いしてみよう。そう思っていたのです。

どう考えても殴られてしまいそうなとんでもない要望ですが、話してみなければ前進はありません。ダメでもともと。難しい交渉ですが、行ってしまえばどうにかなるに違いない。まさか殺されることはないでしょう。

私はいつも自分に授かった能力が持ち腐れにならぬよう、自分の力を試し続けてきました。そんな私の集大成です。実行しなければ悔いが残ります。私は急遽イタリアへ飛ぶことにしたのです。

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『喰い改めよ! あなたはあなたが食べたものでできている』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。