「お前、俺とやろうってのか?」
禅は唾を飲み込んだ。
「将太君と喧嘩する気はないよ……」
将太は首を傾けた。

「じゃあ、“やめろよ!”って言ったのは何だ?」
「それは……」
「それは?」

禅は、体の震えを止めるように言った。
「それは、賢一が友達だから……」

将太は笑った。
「じゃあ、お前が代わりにやられるか?」

禅は、下を向き黙り込んだ。

「どうするんだ?」

将太は薄ら笑いを浮かべると、周りにいる六年生の仲間たちを見回した。それを見た仲間たちが、将太の顔を見て愛想笑いをした。禅はその隙をつき、突然渾身の力で将太の顔を殴った。

“先手必勝!”

それは禅の賭けだった。禅は馬鹿ではない。しかし、このまま黙っていても結果は同じ……賢一と二人で袋叩きにされるだけだ。それに、将太とまともに喧嘩をしたところで勝てる見込みはない。だったら一か八かやるしかなかった。

禅は、喧嘩はした事があった。しかし、好んで喧嘩をする訳でもなく、同学年のいじめをしていたヤツと、殴り合う程度のケンカだった。そんな禅だったが、この一撃は少ない経験の中でも、渾身の一撃と思えるほどの一撃だった。しかし、結果は?

「え?」

禅は理解に苦しんだ。確かに拳は、完璧に将太の頬に当たっていた。しかし、何も起こらなかった……賭けは失敗だった。その一撃は、将太には全く効かなかったのだ。将太は笑った。

「なんだ? そのパンチは?」

そして、その笑い顔は一瞬にして鬼の形相に変わった。次の瞬間、将太のパンチが禅の顔に当たった。

禅は星を見ていた……昼にもかかわらず、目の前に輝く沢山の星を……。
禅は、気が付くと地面に倒れ、他の六年生に蹴られていた。

剛史が怒鳴った。
「この野郎! 五年生のくせに調子に乗りやがって!」

しばらくすると将太が怒鳴った。
「もう止めろ!」

その声を聞いて、全員が一斉に蹴るのを止めた。それに不満げな剛史が将太を見た。
「なんでやめるんだよ!」

剛史は本当にバカだった。強い人間に付いていると、自分も強くなったと勘違いしてしまう人間がいる。剛史はその典型だった。将太の表情が見る見る変わって行った。

「あ? お前、俺に言っているのか?」
そう言うと剛史の胸ぐらを掴んだ。
「お前、今なんて言った? 俺の言う事が聞けないのか?」

我に返った剛史が青くなった。
「ご、ごめん……」

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『アリになれないキリギリス』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。