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現代美術館は、閑静な高級住宅地の一画を占めている。周囲を取り囲んでいる高い塀が、コーナーの近くで切り取られたところに扉があり、その右半分が開かれていた。

鉄のフラット・バーで加工された飾り格子に、美術館を表すロゴ・タイプがデザインされ、逆光の中でその輪郭を失わせながら、シースルーに浮かび上がっていた。

「素朴で抑制の効いたデザインですね」
エリザベスが言った。

長い導入部を抜けると、突然左側の視界が開けて明るい中庭に出た。そこには地元の小学生らしい子供の一団がたむろしていて、二人に気がつくと一様に好奇に満ちた眼差しをこちらに向けた。

建物に沿って中庭を回りこむと、レベル差が五十センチメートルほどのプラット・ホームに突き当たった。辺りを見回すと右奥に小さい階段が見える。宗像は、そうか、順路はあちらだったのかと気がついたが、突如プラット・ホームに飛び上がり、笑いながら手を差し伸ベ、エリザベスにここから上がるように促した。

一瞬、戸惑ったようだったが、エリザベスの顔に笑みがもれて手が差し出されると、宗像はしっかりその手を握った。エリザベスが弾みをつけて地面を蹴ると同時に彼女を引っ張り上げようとしたのだが、その拍子に二人の身体がプラット・ホームの上でぶつかり合うように重なった。

反動で落ちないように、慌ててエリザベスの身体を両の腕で支えた。ブロンドの豊かな髪が空中を舞うと、ゲランの香りが鼻腔をくすぐった。さっぱりとしてシンプルなミドルノートの香りが、初夏の朝の乾いた空気と交じり合いながら辺りにたゆたった。

「御免なさい。少し強く引っ張り過ぎましたね」
宗像は瑠璃色の大きい瞳を見つめながら謝った。

「私の方こそ失礼して。でも……いつも、このような近道がお好き?」
エリザベスも少し顔を赤らめ、宗像の眼を見ながら尋ねた。

「ええ……ええ、そのほうが何か良いことがありそうでしたから」

宗像がそう答えると、エリザベスの快活な笑い声が堰を切ったように周囲の白いコンクリート壁に反響した。二人は裏口のように見える小さく控えめな玄関に戻ると、そこは、先ほどよりさらに多くの小学生たちに占領されていた。エリザベスは宗像に語りかけた。

「古典芸術も良いのですが、最近の若い人や子供には多少退屈ですわ。若い人たちにとって、現代アートはその時代の息吹や感性を、むしろストレートに感じさせる効果があるとお思いになりません? それに、まるで謎解きのように、見る人に何かを考えさせる効果もあるようだわ」

外観同様、内部空間も抑制の効いたシンプルなデザインである。現代美術館だからこそ無理なく実現できたアイデアも多いようだ。二階に上がると、深い緑に被われた森を臨みながら食事が出来るように、テラス・レストランが設けられていた。窓辺のテーブルに着くなりエリザベスが尋ねた。

「いかがでしたか、この建築?」

「ええ、この建物を見ますと、ゆったりとした土地と豊かな自然環境さえ用意されれば、建築家は肩の力を抜き、独り善がりにならず、もっと自然に振る舞えるのではないかということを、改めて教えているようです」

仄かに立ち込めるエスプレッソの香りに包まれ、エリザベスの瑠璃色の瞳を見つめながら宗像は自信を持ってそう言った。

「私も同じ意見です。心が癒されるような環境を生み出す建築ですね。私の専門であるグラフィックにも同じような問題があります。でも建築はその環境を考えても巨大なものですから、その影響は計り知れませんわね」

エリザベスは大きく頷きながら、楢の木で作られたシンプルなテーブルに、カップをそっと置いた。

「エリザベスさん、それではワイン・セラーに行きましょう」