同じ頃の1944年に、オーストリアの精神科医師であるH・アスペルガーは、これとは別の行動パターンを示す4名の青年に関する症例から論文を発表しました。第二次世界大戦のナチス・ドイツの時代背景もあり、殺戮(さつりく)から逃れさせるために「障害」とはせずにあえて「精神病質」としたとされます。アスペルガーが症例から見出した行動特徴は次の6点でした。

①他人への愚直で不適切な対応をする
②鉄道の時刻表などへの限定した興味のもち方をする
③一本調子の話し方、やりとりにならない会話になる
④運動協応動作の拙劣さがある
⑤運動的には境界線以上であるのに特定の一・二分野の学習困難さをもつ
⑥常識の著しい欠如がある

アスペルガーは、自身の指摘する症候群はカナーのいう自閉症とは異なるものと考えました。しかし、多くの類似性があることも認めていて、その原因については、よくわからない状態でした。

1968年にオーストリアの精神科医であるB・ベッテルハイムは著書『自閉症・うつろな砦(とりで)』(黒丸正四郎訳、みすず書房、1973年)のなかで、自閉症は生物学と環境の両方が原因で生じるとしました。ところがその著書で取り上げた症例は、自閉症が不適切な母親によって引き起こされることを示すのみで、自閉症の子どもの親はよそよそしく、冷淡であり、精神病理に苦しんでいるとしたのです。彼の見解によると、この障害は本来生物学的なもので、当の子どもに対する母親のネガティブな態度が生物学的障害を出現させるのだろうというものでした。

そして、当時の心理学者のH・ハーロウの針金サルと布サルにミルク瓶をつけた実験から、早期からの幼児と母親のやりとりの異常が愛着障害をもたらしうると考えたのです。ベッテルハイムの見解は、子ども時代と大人になってからどのような人間関係を確立するかは母子関係によって決定されるという、それまでのフロイト派の精神分析の考えを正当化するものでした。「不適切な養育」は「黒いミルク」とされ、その後は養育態度を問題とし、以後数十年にわたって世の母親を苦しめたとされます。

さらにベッテルハイムは、自閉症者とナチス強制収容所の一部の犠牲者は、不適切で表面的な愛情を発達させ、アイコンタクトをほとんどせず、外の世界から自らを閉ざしてしまうという反応を示すと論じました。人格が十分に形成された大人の囚人は、長年監禁された経験でも、精神的に回復することができたのに対し、自閉症のある子どもの場合は、最初から虐待されていたことから、憎しみに対抗する能力を築く機会が半分もないと考えたのです。本の題名のとおり、砦のなかに囚人のように閉じこもっている本当のわが子がいるイメージをつくりだしたとされます。

※本記事は、2019年6月刊行の書籍『もしかして発達障害? 「気になる子ども」との向き合い方』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。