利常はますます苦境と孤独に陥る。

私:珠姫に9年で8人。側室は5人いて、子供は5人。つまり、子供の数では、利家は18人、利常は13人だ。

N:絶倫でしょう!

私:作蔵君、珠姫との仲睦まじさに利常の置かれた状況がかえって見え隠れしないかい? 9年に8人だろ。その異常な出産は利常の苦境と孤独を表していないかな? 珠姫は若くして死ぬ(23歳)。そして利常はますます苦境と孤独に陥る。

N:利常は今もって金沢市民に愛されないくらいですから、当時の金沢城ではいったいどうだったでしょうかね。しかも利常は一人っ子でしょう? まわりはすべて敵だったでしょうね。

私:利常は自分が寄って立つ基盤は徳川だと自覚していた。無情にも徳川が利常を守り育てていたのだ。

N:ところで利常の母(ちよ)について少し教えてください。

私:越前府中(武生)で、まつの侍女となり、那古屋城(朝鮮出兵)でちよ(24)は利家(57)の側室となる。

N:まつには金沢に尾山神社がありますが、ちよの史跡はどこにありますか?

私:能登羽咋に妙成寺がある。その妙成寺の五重塔の落成式にちよは江戸から駆けつける。江戸へ人質に出てわずか4年後のこと。一方まつは息子利長の葬儀にさえ立ち会えず、なんと15年間も金沢へは帰れなかったのに。
 

※本記事は、2020年5月刊行の書籍『古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。