「課長、何とか由里香の契約延長をしてくれよ」

暦が12月、派遣契約満了月を知らせる時だった。
「ここで契約終了は、由里香が可哀想だよ」

師匠はじめ品質保証課メンバー全員が由里香の派遣契約延長を懇願して来た。派遣社員の宿命で、業務に慣れ、環境へも順応し、組織への貢献度向上中の由里香ではあるが「新製品の初期管理」が完了予定で有り、予算の計画の厳守と、例外は認められない規定を総合的に判断し、自分は暫く前より、他の方策を目論み、その実施のタイミングを、見計らっていた。

年末19日、契約完了となる4日前に、自分は知り合いのある取引先社長に、携帯電話で連携を取った。

私は、由里香の検査員台帳抹消の改訂欄に「森山 まさる」のサインを静かに入れた。品質管理業務を担当して前社含め、はや20年を超える。身長179センチ体育会系で、現場技術スタッフを希望していたものの、希望とは完全に対極的な立ち位置に自分が置かれ、完全定着状態であることを日々実感していた。

「何時も他の人々を助けます」

9歳の時、ボーイスカウト(下部組織カブスカウト隊)入隊時から教えられ、誓い、そして10代後半~20代に掛けては、後輩に常に語って来たフレーズに限定や例外は、有ってはならない。すなわち「ボーイスカウト精神」が自身の真ん中にある。

週末の紹介先会社での採用面接で、由里香の正社員採用が内定した。何とか滑り込みセーフだ。12月22日。もう翌日が契約最終日で有り、由里香との業務上お別れの前夜手紙にて、6つの約束の依頼事項を記載した。

1.「3カ月取り組んで来た品質管理業務」を今後もやりきり、「QC検定4級」を取ること。
2.業務のベースとなる「パソコン操作」をマスターすること。
3.「自動車普通免許」を取得すること。
4.「高校卒業認定」を2年間~3年間で受験して、合格すること。
5.「好きだった英語」を生かす為、英検3級を取り、その後の進路を考えること。
6.「他の人を照らす」生き方をすること。

12月23日契約最終日、品質保証課全員で朝から、由里香への色紙に寄せ書きをした。
そして由里香に気がつかれない様に、彼女の検査業務中の写真を撮り、色紙に貼り付けた。

そして最終業務を終え検査測定室に、課員全員が集まった。由里香の品質保証課での、契約期間3カ月の労を課員皆で労い、記念品と共に、色紙を彼女に手渡した。

由里香は記念品と色紙を少し驚きの表情と共に、静かに受け取った。青春の勲章が残る白い華奢な腕で。静粛な時間が約7メートル四方の検査測定室に、静かに流れる。その華奢な左腕が涙を拭う為、由里香の大きな目に2度、3度近づけられる。色紙を見つめたまま涙は止まらない。

長い20秒間、いや、15秒だったかも知れない。色紙を見つめたままの由里香に、メンバー全員が労いの言葉を贈る。私も契約延長が出来なかった自身の力不足と、由里香への感謝を本人に、そして今後の彼女のステップを、心配している課員に披露して、上司として最後の指示をした。挨拶を一言、由里香に依頼したが、品質保証課員への彼女の挨拶は、嗚咽になってしまった。

年末の喧騒感漂う事業所の中、検査測定室は透明な、どこか甘く切ない空気と、それぞれの思いが溶け込んで、夕刻薄暮の時を、ほんのしばらくの間、止めていた。

私は、前夜思いを込めて、6つ目の約束を「色紙の右下エリア」に記した。軽い虚脱感が胸に飛来したが、なぜか感傷的なそれでは無かった。2010年、12月23日、部下としての近藤由里香に、最後のメールを送った。

『ご苦労様でした。来年は由里香にとって幸多き年になる様祈り、見守っていきます。来年は格好の悪いメール沢山待っています。』

と。

後日分かった事で、由里香はその色紙を、何日間も終日見ていたらしい……。

2010年、12月23日、由里香と私の「長い長い、挑戦」が始まった。

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『26歳の1回生』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。