第9章 祖母、父母の老いと死:孤独死を考える背景

20年の後に

母(父の母)は40年以上前になくなりました。父は5年前に亡くなりました。母は認知症が進行してグループホームに入っています。三者三様の老いと死は、わたしの心に深い印象を刻んでいます。それは、わたしが医者として終末期医療を考えるための原体験であり、わたしが一人の人間として自分の孤独死を考えるようになった原点でもあります。

祖母の子供時代のことは何も知りません。福岡市近郊の炭鉱で働く炭鉱夫(わたしの父方の祖父)と結婚し、6人の子供を産み育て、わたしが物心ついた頃は福岡市内の小さな家で一人暮らしをしていました。時々、年に2~3回くらいだったか、わたしたち(両親と姉とわたし)の住む家を訪れて来ることがありました。

父は炭鉱街で生まれ育ち、18歳から20歳まで筑豊の炭鉱で働いた後、召集され、終戦後はずっと郵便配達の仕事をしていた人です。母は熊本県の八代海に面した干拓地で生まれ育ち、父と結婚してからは福岡に住んでいました。そこは、姉とわたしが生まれ育った土地でもあります(福岡県糟屋郡須恵町)。

1 祖母の終末:悲しみの思い出

「恍惚の人」の現実

祖母が交通事故に遭ったのは、わたしが14~15歳の頃。命に別状はないけど、脳を打ったらしく、徐々にいろんな異常が生じてきました。運動障害は軽かったけど、知性の障害、今風に言えば認知症、当時の言い方なら「ボケ」が目立ちました。

それまでは、意固地なところはあったけど一人でちゃんと暮らしていた人が、身のまわりのことができなくなり、一番近くに住んでいた家族であるわたしの実家で世話することになりました。今から思えば、事故の外傷の治療のため何ヶ月か入院していた、その入院生活が一人暮らしのスキルを衰えさせたのかもしれないけど、その頃のわたしたちは、そのようなことに思いも及びませんでした。

ともあれそれからは、認知症の親を抱えた家族の手記にあるようないろんな出来事が起きました。運動障害がないから徘徊は旺盛で、迷子になることはなかったけど、よその家の軒先、玄関先で大小便をするのはしょっちゅうでした。

これもまた今になって冷静に考えれば、明治生まれの祖母にとって野糞、立ち小便はごく普通のことだったのかもしれないけど、昭和の福岡市近郊の町に住むわたしたちは、そこまで思いやる心のゆとりがなかった。

万引き事件も何度かありました。これはさすがに明治の人だからといって許せることではありません。もちろん、万引きと言っても駄菓子とかささいな物品ではあったのですが。

こんなトラブルが起きるたびに、母や父が謝りに出向いていました。幸いなことに、この頃は世間もおおらかで、こちらが頭を下げれば快く許してくれて、「お宅もたいへんだねえ」と慰めの言葉さえかけてくれました。損害賠償などを求められたことはなかったはずです。

家の中では失禁もしょっちゅうで、異臭が家を満たしました。この文章を書きながら気がついたのだけど、外ではちゃんと下着を取って大小便する人が(そうであればこそトラブルになる)、なぜ家の中では失禁したんだろう?

当時はこんな疑問を思いつきもしなかった。冷静さを失っていたんですね。今なら当然、老人用おむつの出番だけど、当時はそんなもの存在しなかった。あったかもしれないけど、普通の人は存在を知らなかった。

老人用おむつに限らず、そういう老親を抱えた家族の苦労そのものが、まだ世間一般に知られていない頃でした。有吉佐和子の『恍惚の人』が話題になり、ようやくこの問題に関心が寄せられ始めたばかり。

世間のおおらかさに助けられることもあったけど、世間の無知に途方に暮れることもありました。ボケ老人と一緒に暮らす上での知恵やコツなどの情報も乏しいから苦労も多く、そういう苦労を引き起こす当人への怨みも増した。

父は、横浜に住んでいた兄(わたしから見れば伯父)と弟(わたしから見れば叔父)と相談し、3家族持ち回りで世話をすることになりました。この間の事情について、父は何も語らなかったけど、兄弟どうしで不愉快な言葉が行き交ったかもしれません。

ともあれ、祖母はだいたい半年ずつくらいで3つの家族を回ることになりました。

やがて3家族の誰もが彼女の一日も早い死を願うようになる。まだ、介護施設のない頃。認知症の老親の世話は、家族が引き受けるほかなかった頃。

死んだのは、わたしが18歳の頃でしたから、この輪番の在宅介護は3~4年続いたことになります。短い方かもしれない。初めから3年で終わると分かっていれば、別の心の持ちようができたかもしれないけど、介護している時にはいつ終わるか見当も付かず、永遠に続くように思えたが、わたしは実感と共感を込めて聞きました。そうなのです。終わりの見えない苦労は人を絶望させる。そして、そんな苦労を引き起こす者への憎しみと怨みをかき立てる。終わった後になって振り返れば、怨むのも怨まれるのも、どちらも悲しいことなのだけど。。

※本記事は、2017年4月刊行の書籍『孤独死ガイド』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。