さらに、レントゲン検査などを行った結果、肺炎を発症していることが分かった。肺炎に対して治療を行うと、呼吸状態が改善し、意識も戻った。

その後、徐々に衰弱していき最終的には亡くなったが、意識が回復したことで、遠方に住んでいて長年会えていなかった息子にも会え、いい最期を迎えることができたとのことだった。

宮岡は正しいことを言える人間だ。正しいだけではなく、患者さん想いである。だから他人の患者さんにあれだけ口出しができるし、仲の良い細山を相手に対立した意見をはっきり言える。まさにプロフェッショナルだ。

僕には真似できない。患者さんのことを想う優しさがあるからこそ正しい結論に至り、なおかつその結論に誠実でいられる人間だ。産婦人科医として、地域に安心感を与えていく姿が容易に想像できる。

一方、このエピソードには細山の人間としての懐の深さも見える。まず、細山はカンファレンスで間違ったことは言っていなかった。できるだけ苦痛を与えたくないという細山の考えも一理あった。

その証拠に上級医は誰も口を挟まなかった。宮岡が意見をした時、「主治医はおれだから」と突っぱねることもできた。宮岡に指摘されないまでも肺炎の可能性も頭にあったのだろう。だからこそ熱や呼吸音についてしっかり把握していたのだ。

にもかかわらず、宮岡の意見に耳を傾け、自分の非を認める形をとった。そして、最後に感謝の言葉を述べた。

これも僕には到底真似できない。細山と宮岡は医者としても人間としても、本当に尊敬できる自慢の同期だった。

それにひきかえ僕にはこれといった特徴もなければ、信念もなかった。一人前の医者になるためには初期研修が必須であり、初期研修の2年間で専攻する科を決めなければいけないため、いろいろな科を満遍なくローテーションしている、というだけだった。

しいていえば、手先が器用で、ルートキープ(点滴の針を血管内に挿入し留置すること)、気管挿管、血管カテーテル留置、糸結びなど、研修医が取得すべき手技はそつなくこなすことができたが、これらはそれほど重要なことではない。いずれみんなができるようになることが少し早くできたというだけのことである。

勉強熱心ではないし、上級医に怒られることも多かった。細山のような行動力も、宮岡のような誠実さも持ち合わせていなかった。自信がないから動くのが怖い、意見するのが怖い、そういうおっかなびっくりな研修医だった。

※本記事は、2020年7月刊行の書籍『孤独な子ドクター』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。