衝撃的記事第二弾

さらに次の記事は三カ月後の週刊誌の記事であるが、四〇代の会社経営者の女性が妊娠し、保活戦争に疲労困憊し、保活うつになり、ついには自殺を考えるまで、精神的に追い詰められていく凄まじいものだった。なぜに、こうまで待機児童の問題が解決されないのか。何が、その解決を阻害しているのだろうか。

「私、死んだ方が保育園に入れますか?」壮絶保活で母親うつに

AERA 二〇一五年一二月二一日号より抜粋

(前略)

都内で会社を経営する40代の女性は、胎児の心拍を確認した直後から、住んでいる区内の認可、認証、認可外、事業内保育所すべてに電話したが、すでに後れを取っていた。待機順位は100番台、200番台はざらで、ときには300~400人待ち。見学予約を取り付けるためのウェイティングを余儀なくされるところや、「再来年の春まで埋まっている」と言われた施設もあった。「不妊治療を始める前にお金を払って認証をおさえた」という母親もいた。

妊娠5カ月の時には、近隣4区まで範囲を広げて探すことにした。電車と徒歩で自宅から45分かかるところも候補に入れた。116軒の認証・認可外のリストを手に、すべての施設に連絡して見学をスタート。「都心の一等地にある月20万円の認証」すらいっぱいだった。預けられるところといえば、ラックに固定された哺乳瓶からミルクが自動フィードされて「保育」ならぬ「飼育」をしているような、劣悪な環境の施設ばかりだった。

切迫早産で自宅安静を言い渡されても、保育園の見学予約はキャンセルできない。夫に付き添ってもらったりタクシーを使ったりしながら見学をこなし、申し込める施設にはすべて待機リストにのせてもらった。

出産1カ月前にはさらに体調が悪化して入院したため、保活は中断せざるを得なかった。生まれてからしか予約できない施設45軒には、あらかじめ申込書に子どもの名前以外をすべて記入しておき、帝王切開で出産した翌日に夫が名前を記入して提出した。

産後1カ月で仕事を再開するため、待機していたすべての施設に電話して順位を確認したが、絶望的な状況だった。他区へ引っ越そうかと物件を探したが、どの区も確実に保育園に入れる保証はなく、あきらめた。新たに7軒を見学したところ、夫と子どもが手足口病に感染し、重症化して入院。女性も40度超えの熱でダウン。しかも、産後うつになっていた。〝保活うつ〟も併発していたのだろう。

「私、死んだほうがいいですか? お母さんがいないほうが、子どもは保育園に入れますか?」 精神的に追い詰められていた。(後略)

なんということだろうか。仕事と育児の両立が大事だとよく言われるが、実態は全く違うということがひしひしと伝わってくる。会社経営の四〇代の女性であれば、仕事を投げ出すわけにはいかないだろう。

会社には、当然従業員もいるだろうし、顧客や取引先もいるだろうから、なんとかして仕事を続けたい気持ちが伝わるし、四〇代で授かった子どもを健康に育てたいとの気持ちも熱く伝わる。

彼女にとって保育所に子どもを預けることで、仕事と子育てがまさに両立されるのである。しかし保活は上手くいかず、産後うつ、保活うつになり、自殺を考えるまで、精神的に追い詰められていく。女性の部長や課長などの管理職への積極的に登用を進める企業や職場で、自分のキャリアを追いかける女性の場合も同じようなケースがあることを聞いた。

※本記事は、2018年8月刊行の書籍『じーじ、65歳で保育士になったよ』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。