心もちふくらんだ胸に、これも少し大きくなりかけた乳首を見て、杉井は美しいと思った。何故かこの瞬間は印象的で、何年経ってもなお、杉井はこの時の光景を鮮明に覚えていた。今セーターの下に隠れた胸は、当時とは比較にならないほど豊かになっているはずだった。 

静岡を発つ前に一度佐知子の胸を見ることができればと、杉井はあり得ない願望を抱いた。と同時に、今まで好んで猥談をする連中を蔑んできたが、所詮自分も同類かな、こんなことを思っていることが分かったら、佐知子は口もきいてくれないだろう、いくら見つめても人の心の中は見えないというのは、本当に有難いことだ、と杉井は意味のない反省をした。 

「どうしたの?」
必然のない間を感じたのか、佐知子が訊いた。

「いや。同級生の女の子でも、そろそろお嫁に行く相手が決まっている子もいるだろ。可能性の話だよ。可能性の話。もっとも佐っちのようにもらい手がちっとも見つかりそうにない奴は関係ないかな」

「またそんなこと言って。でも本当に結婚が早い子は早いものね」

無理矢理一般論に置き換えたが、佐知子は何も気にしていない。

「でもお母さんには、最近は、年頃なんだからもっと女らしくしなさいって始終言われるの。自分ではちゃんとしたお嫁さんになれると思うんだけどなあ」

佐知子は口をとがらせた。表情や仕種は幼い頃のおてんばの佐知子と変わらなかったが、全体の雰囲気はもう十分女らしかった。

「おばさんがそう言うのも無理ないよ。俺が佐っちの父親だったら、やっぱり心配で仕方ないものなあ」

自分が父親だったら、というのも、関心を寄せた女性を前にしてのわざとらしい仮定だなと杉井は思った。

「どおーしてーっ。あっ、分かった。謙ちゃんはおば様のこと一番好きなんでしょ。謙ちゃんとこのおば様、とっても素敵だもの。だから同じくらい素敵な人でないとお嫁さんとして失格だと思っているんだ。でもそういう風に自分のお母さんのことが一番好きな人ってどんなお嫁さんもらってもうまくいかないんだって。困った、困った」

「何言っているんだ。そんなことないよ」

「寒くなってきちゃった。そろそろ晩ご飯の支度しなくっちゃ。明後日の初詣では浅間さん?」
「そのつもりだけど」
「また会うかも知れないね。ちゃんと約束どおり、謙ちゃんの無事お祈りしてあげるから」
「うん」
「それじゃ良いお年をね」
「うん。佐っちも」

濃紺のスカートを揺らしながら、佐知子は家の中に消えた。

※本記事は、2019年1月刊行の書籍『地平線に─日中戦争の現実─』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。