夫の脱出

一月四日まで、会社は年末年始の休みだった。真冬の時期に一番働くのは暖房器具だ。子供たちに風邪を引かせないように注意を払っていた。私自身も風邪を引かぬように、寒いと感じたら一枚多く羽織るように心がけていた。母親が風邪を引いたら子供に移してしまうため、少し神経質かなと思うくらいだった。

居間は、いつもコタツとエアコンと加湿器がフル稼動していた。お正月休みなどはない。

居間の南向きの大きな窓ガラスは、白い蒸気がまとわりついて曇っていた。指で絵を描くとへのへのもへじの顔が浮かび上がってきた。

子供たちが生まれてから十一カ月が過ぎようとしていた寒い夜。

時計は十一時を少し過ぎた頃、夫と私は二人で部屋にいて寛いでいた。夫はテレビを観ていた。私はドレッサーの前に座り保湿クリームを塗り終えようとしていたその時、夫は顔を私の方へ向けてポツリと言った。

「オレは独りになりたい」

私は一瞬耳を疑った。人として非常識で愚かな言葉だった。

部屋には二人きりだ。子供たちは姑が寝かしつけてくれていた。姑は孫を大変可愛がってくれた。「目に入れても痛くない」と言っていた。この頃は姑はもう専業主婦だったため、孫へ愛情を注いでくれるのはありがたいと感謝している。

舅も、日曜日になると、廊下にあるソファに孫をチョコンと座らせ愛でる表情で愛情をテレパシーで送っているのを何となく感じられた。やはり姑同様に、「目に入れても痛くない」存在なのだろう。

みんなからの愛情を受けて育つことは、子供たちにとってとても大切なことだと思う。多くの愛からは豊かな心が育つ。豊かに育った子供は豊かな感情の人間に成長するのだと自負していた。たとえ家族の中の一人だけの愛情が注がれないとしても充分な愛情は人間らしい人格形成には問題は生じないと感じている。

「足るを知る」ことは大事なことである。不足はリアルに自分に取り込まなくても良いのである。私は自分なりに考え、時には子育ての先輩としての姑のアドバイスも聞きながら子育てをしていこうと考えていた。

今のところ、些細な疑問やつまずきは時々あるにしても順調に子供たちは成長していた。私の生きる中心だった。生きていることを実感できた。

しかし、夫の一言が、私の幸せな心を凍結させた。血の気が引いた。

私はすぐには理解できず、
「もう一度言ってみて?」とゆっくり問い直した。

夫は同じ言葉のみを繰り返した。「オレは独りになりたい」とだけ発声した。二度聞いた限りでは、夫が今どうしたいのかを聴覚のみは確認できた。五感の内の残り全部は否認していたのだが。

もう一つの最も大切な部分はとうてい全面否定をしていた。私の心。