従業員対応の中で、エイズ禍は頭の痛い問題である。

南アフリカの全人口約五千万人の内の二十五%、一千万人以上がエイズキャリアー(保菌者)である。五千万人中の八〇%が黒人だから、エイズ保菌者もおのずとその割合になる。エイズ保菌者を絶対に差別してはならないし、そもそもこれは個人情報だから誰がエイズキャリアーかもわかりにくい。

もちろん首にはできないが、高倉はこれも自然人員削減の一つのネタにした。
マキシマ社では毎月一、二名の黒人従業員がこの発症によって亡くなっていく。あわれである。
この補充を可能なかぎりやらないことで、少しずつ人員削減につなげた。

エイズ対策は南アフリカのみならず、全ブラック・アフリカの大きな課題であり、性教育の実施や国境のパスポート・コントロール窓口に大量の無料配布コンドームを置くなどの努力がされてはいるが、なかなか効果が出ていないようだ。

コンドームはあまり使いたがらないらしい。日本製がいい筈だが値段が高いのか?
エイズといえば高倉には思い出すことがある。

一九八三年ごろ、アメリカの映画スターだったロック・ハドソン氏がパリに来た。相当な美男子である。
彼はエイズにかかり、その頃エイズ研究が最も進んでいたフランスに治療に来たとのことであった。

高倉は丁度その時パリに駐在していたので、このニュースはよく覚えている。
この頃からエイズがセックスや同性愛が感染源で、不治の病であると大きな話題になった。
そしてフランスのみならず欧州主要都市にある飾り窓や赤線まがいの場所が一気にさびれていった。

元々はアフリカ中部、コンゴ、カメルーンあたりのサルからチンパンジーに移り、それを料理したか、食したかでヒトに感染し、一九三〇年代に、コンゴで出稼ぎ労働をしていたハイチ人が、母国へウイルスを持ち帰ったという説があった。そこからアメリカ、カナダ、欧州、豪州、日本等世界中へ拡散されていった経緯を聞いたことがある。

ロック・ハドソン氏は結局、フランスへ来た二年後の一九八五年にエイズで亡くなっている。

マキシマ社の本社オフィスのあるW地区の東側に隣接して、A黒人居住区がある。そこからマキシマ社のリトレッド工場に通っている工員がエイズで死亡した。

エイズで亡くなった従業員はそれまでに何人もいるが、高倉は弔問にはあえて行っていない。

だが、すぐ近くでもあり、彼らがどういう生活をしているのか見ておきたいという思いもあって、秘書のアンネマリーを伴って弔問に行くことにした。

会社から車で二分もすれば黒人居住区に入る。
入ったとたんに様子が一変する。まさに欧州からアフリカに入ったという感覚だ。

道が狭い。舗装路はメイン道路だけであとは砂利か赤土むきだしの道路が縦横に走っている。

道路にはゴミが散乱している。収集車があまり来ていないのか、収集能力以上にゴミが棄てられるからだろうか? 所々で道路脇にゴミの山が築かれている。

トタンや草ぶき、わらぶき屋根の家々が不規則に雑然と建つ中を、アンネマリーが緊張した面持ちで前のめりになってハンドルを握っている。