「謙ちゃんの家はお雑煮は何を入れるの?」
「里芋に大根にあとは葉っぱものかなあ」
「おすまし?」
「そうだよ」

「うちもずっと同じお雑煮だったんだけど、住み込みの平岩さんの実家が京都で、お雑煮は鳥肉をいれて白味噌で作るって言うの。試しに今年のお正月に作ってみたけど、とっても美味しくて、今度のお正月も一回は白味噌雑煮にしようって皆言ってるの。お雑煮だっていろんなのあるんだし、お料理に決まりなんてないのよ」

佐知子はよく話した。年が明ければ十日で入営となってしまうのに、そのことには触れようとしない。淋しくならないように、敢えてその話題を避けているのだろうかと、杉井は希望的観測を一瞬したが、あっけらかんとした佐知子の表情を見ると、明らかにその可能性はないと認識した。これは自分から話題の方向を変えるしかないと思った杉井は、本題を切り出した。

「新年になったら、また本年もよろしくお願いしますって挨拶に回るけど、来年は十日しか静岡にはいないんだよね」
「そう。いよいよね。わくわくするでしょ」

またしても佐知子の反応は杉井の期待に反している。

「あまりわくわくはしないね。全く初めての生活だからちょっと緊張するけど。それと、これから一体自分はどうなるんだろうという期待と不安の混じった、と言うより、不安の方が多いように思うけど、とにかく複雑な心境だね。

この間親戚で送別会をやってくれて、皆お国のためにすべてを捧げて頑張って来いって激励してくれる中で幸作叔父さんだけは、家の長男なんだから死ぬな、生きて帰って来いって言うんだ。そう言われると、とにかく自分のすべてを捧げて戦ってくるにしても、命まで捧げなくても良いのかなとも思ったりしてね」

それまでの屈託のない笑みが佐知子の顔から消えた。切れ長の目を少し細めながら、佐知子は言った。

「難しいことね。謙ちゃんがお国のために死んで来た方が良いなんて誰も思っていないと思うけど、命まで捧げなくてもってのは、謙ちゃんが自分で言っちゃいけないことなのよ、きっと。

私は戦争のことはよく分からないけれど、戦争に行く人たちは、死にたくないという気持ちと、命を賭けて頑張って来るという気持ちの両方を持っていて、多分死にたくないという気持ちの方がずっと大きいと思うの。

でも行く時に、その人は自分は死にたくないなんて言ってはいけないし、周りも、その人はお国のためにすべてを捧げて来る人で、死にたくないなんて全く考えていない立派な人だということにしておくのよ。

本当のことを言ったらうまくいかないことって世の中たくさんあるでしょ。だから戦争に行く人も、内心どう思っていても、勝って来るぞと勇ましくで行かないといけないんじゃないかな」

※本記事は、2019年1月刊行の書籍『地平線に─日中戦争の現実─』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。