この福岡旅行には、大事な目的がありました。両親がいずれ死ぬことを考え、今しておかなければならないことをしておく。特に、延命治療に関するリヴィング・ウィルを確認しておくこと。こういう話をどこまで理解してくれるか、心もとない気持ちもあったけど、とりあえず父に話を切り出しました。

「縁起でもない話だけど、今しておかないといけないから、聞いてください。

お父さんは、今は元気だけど、いずれ死ぬ時が来る。たいていはその前に体が弱って、何か病気になって病院に運ばれます。だけど、病院という場所は人を簡単に自然に死なせてくれないんです。

口から物を食べられなくなったら、胃に穴を空けてチューブから栄養を入れるし、自分の力で呼吸できなくなったら人工呼吸器を付けて呼吸を続けさせる……」

「おれは、そこまでして生きとうない」

「みんな、そう言うよ。そこまでして生かされたくないって。だったら、その気持ちをほかの人にも分かるように、できれば文書で残しておいてください。『こういうことはしないでくれ、こういうことはしてほしい』というふうに」

「おれは痛い思いはしたくない、苦しまんで死にたい。おれの願いはそれだけだ」

「うん、それをできれば文書にしておいてください」

「そうか、分かった」

意外とあっさり分かってくれた。ただ、どこまで分かっているのか、本当に文書にしてくれるのか、心もとないのは事実でした。本人が自分の意志を文書にしてくれるのを期待するより、姉とわたしが気持ちを一致させておいて、いずれ必要な時には親の主治医にわたしたちの一致した意志として無意味な延命治療をしないよう申し入れる方が現実的だろう……。

昼食後、実家を出て、博多駅の地下街にある喫茶店で姉と会いました。会えば話すことはいろいろとあるのですが、両親のことも当然話題になります。父は、2年前に町内会や老人クラブの役職を一切退いてからボケだしたとのことでした。姉は

「だんだん角が取れて『好々爺』になっていくね。あの『きつい』ところがなくなって、ちょっと物足りないけど」

と言ってました。確かに、それは言えるかも……。

そんな話の流れで、姉にリヴィング・ウィルのことを持ち出すと、

「その点は、あまり心配しなくていい。もう10年くらい前、二人ともまだしっかりしていた頃に、尊厳死協会から書式を取り寄せて、署名入りの文書を作ってもらい、わたしが預かっている」

とのこと。ああ、もうそこまでやってくれていましたか。さすがわたしの姉上様、頼りになります。

この時もその前後も、福岡に旅して姉と会ったおり、あるいは電話や手紙のやりとりの中でも、

「くれぐれも、親を自宅に引き取ったりしないように。今よりもっとおかしくなったら、ためらわず施設に入れてください。そのための準備を今のうちからしておいてください」

とわたしは自分の考えを率直に述べ、

「それは、分かっている」

と姉は答えてくれました。

姉も分かっていたのです。認知症の進行した親を自宅に引き取れば、どんなことになるか。30年以上前の祖母をめぐる出来事を忘れるはずはないでしょう。

※本記事は、2017年4月刊行の書籍『孤独死ガイド』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。