弐─嘉靖十三年、張(チャン)皇后廃され、翌十四年、曹洛瑩(ツァオルオイン)後宮に入るの事

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吉祥天のまえで、曹洛瑩(ツァオルオイン)とことばをかわしたあと、私はふたたび、麵づくりに汗をながしながら、寺には寄りつかぬ、と、きめた。たびたび顔を出そうものなら、飛蝗(バッタ)に勘づかれて、あの子が危険にさらされてしまう。

再会したときを思えば、身体の奥があつくなることもあった。

懸想を絶つには、ほかのことで頭をいっぱいにする必要がある。このときばかりは、麵づくりの重労働に感謝した。目の前の仕事に集中し、からだを酷使すれば、あらぬ空想をしているヒマはなくなる。

嘉靖十三年も、暮れのことであった。

「湯麵(しるそば)をたのむ」
入って来たのは、田閔(ティエンミン)である。

「きょうは、非番なのか?」
「仕事は、午(ひる)までだ。もう歳末だしな。おお、さむ」
「李師父は、そくさいか」
「ああ」
「そういえば、あの子は、元気か? 楊金英(ヤンジンイン)といったっけな」
「ウン……」

田閔(ティエンミン)は、言葉をにごした。
「女子と小人は、養いがたし、だ」

頭の切れる男(正確には、男ではないが……)は、平凡な女ではあきたらず、やはり頭もよく、個性もつよい女にひかれるのだろうが、なにしろ相手は、宦官に化けて、紫禁城を脱出するような女なのだ。察するに、さぞかし、振りまわされていることだろう。

「となりの主人は、どうした」
「死んだ」
「なに?」
「話せば、長くなる」
「そうか。かわいそうなことをしたな」

田閔(ティエンミン)は、私のひとことで、あらましを察したようである。司礼監の敏腕官吏が、東廠(とうしょう)の無法と、あわれな犠牲者のことも、知らぬはずがなかった。

「きょう、来たのはな」
田閔(ティエンミン)は、本題に入った。

「おぬしの麵を、宮廷で、出さないか?」
「うん?」

黒戸(ヘイフー)のつくる麵を、宮廷で?

「そんなことが、できるのか?」