思うにこれは、個人の『性質の差』によるものだ。今はそう解釈している。その『差』とは?

まず、認識能力の違い、自分自身が薬を使っているときに、自分の体には今、薬物が入っている。そのことをきちんと認識しているか、いないか。

または、出来るか、出来ないか。これが、一番重要なポイントだ。

例えば、普通の人間が2、3日睡眠をとらず、食事も満足にとらない。煙草と飲み物だけで過ごしていたら、その人間の肉体的疲労は、必ず限界点を越える。

しかし、本人はSで、感覚と思考能力が麻痺しているため、それには気づかない。どう考えても、人間が連続で3日も徹夜をすれば『耳鳴り』はするだろうし、目は乾き、疲れ、動体視力の機能も著しく低下する。実際にはないものが見えたり。静かな部屋で、知らない誰かの声が聞こえたり。

そう感じたとしてもそれは、当たり前と言えば当たり前なことだろう、3日も徹夜すれば。普通の人間には『不可能』なことかも知れないがSを使えば、それは可能になる。

そんなとき翔一は、いつでも正確な解釈をすることができた。Sを使いすぎて、疲れきった体に気付くことができる種類の『性質』であり、正確な解釈や分析が出来る『能力』を持っていたんだろう。

まずは、シャワーをあびて全身についた脂汗を洗い流し、とれるだけ食事をとり、体を横にして、なるべくなら眠るようにする。一通り『ハマッ』たら、自分の体の『ケア』を心がける。

一方『イッチャウ』タイプの人間はとりあえずSが、無くなるか。限界がきて気絶するか。

そのどちらかへ毎回、毎回突き進んでいく。しまいにはSが、体に入っていないときでも幻聴や、幻覚による精神的な障害に怯えて生活せざるを得なくなる。

そうなりだしてしまったら、時間が、経てば経つほど『こちら側(正常な状態)』に、戻ってくることが難しくなる。早めに、精神病院のお世話になるか、または死ぬまで治ることがない。という人生を歩んでいくか。

自身で選択できる『未来』が極端に減っていく。それを、跳ね返すことのできる『強い人間』は、あまりにも少ない。

※本記事は、2017年9月刊行の書籍『DJ』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。